カーディガン(cardigan)とは、V字形の首元(Vネック)で前明きをボタンで留め、襟がなく、ニット(編み物)でできた長袖の上着を表します。
「前明き形のセーター」といえますが、カーディガンの名前が知られるようになったのは、19世紀のイギリス人の軍人であり、クリミア戦争で活躍した「第7代カーディガン伯爵」であるジェイムズ・ブルーデネル(James Thomas Brudenell,7th Earl of Cardigan)が愛用したことからです。
ファッション・服飾におけるカーディガン(cardigan)の意味と由来
クリミア戦争は、1853年〜1856年に当時のロシアとオスマントルコ、イギリス、フランス、サルジニアの4ヶ国連合軍が黒海のクリミア半島を主に主戦場として行った戦いです。
この戦いでカーディガン卿は、軽騎兵旅団を率いて、半ば無鉄砲な突撃作戦を決行しました。
その様子がロンドン新聞に掲載られると、当時のイギリス国民は悲壮な栄光をたたえて盛り上がりました。
先頭に立って「死の突撃」とも言える無謀な作戦を行い、カーディガン卿は名を挙げたのです。
その際のエピソードとして、突撃の際に部下がカーディガン卿を追い抜こうとすると、「後ろに下がれ」と怒鳴って先頭を確保して駆けたといわれています。
カーディガン卿が好んで着用した「カーディガン」
カーディガン卿は、クリミア戦争でセーターの前を縦に切り開き、ボタンを数個並べて留める形のものを着用し、部下にも同じものを着せていました。
前明きのセーターを着用していた明確な理由ははっきりとしていませんが、前明きのセーターを着用するによるメリットにあったと考えられます。
- 前明きであれば、上着と一緒に着脱できるので便利である
- 上半身の負傷を手当てする場合、セーターをハサミで切り裂かないといけないが、前明きのセーターであれば怪我の手当てや衣服の着脱がしやすい
カーディガン卿が帰国した際は、凱旋将軍として歓迎され、ロンドンにある商店のショーウィンドウにはカーディガン卿の肖像画で溢れました。
このため、カーディガン卿が愛用していた前明きセーターが「カーディガン」として有名になり、定着することになったのです。
カーディガン卿は、その後、騎兵監察長官(1855年〜1860年)など数々の指揮官の職を与えられ、常に英雄として待遇されることを望み、自己顕示を発揮し続けたようです。