古くから、職人と呼ばれる手工業者たちは、守護をしてくれる神仏を祀っていました。
同業者同士で信仰のための組織である「講」を結成する場合も、数多くありました。
「講」においては、神仏の信仰だけでなく、同業者同士、技術の向上や保護を目的に活動したり、互いの結束を強める役割もありました。
染色職人、とりわけ藍染に関わる人々は、仏教の愛染明王を信仰し、同業者が集って、「愛染講」を結成していました。
目次
愛染明王(あいぜんみょうおう)とは?
愛染明王は、古代インドのサンスクリット語(梵語)でラーガラージャ(rāgarāja)といい、ラーガとは、赤色・愛情・情欲などの意味を持ちます。
そこから、愛染明王とは、愛の仏として知られ、人間の愛欲などの欲望でさえ仏心に通じるものであるということを教える仏であると考えられています。
他方で、子孫繁栄を約束するなど、さまざまな祈願をかなえる仏としても信じられていました。
日本における愛染明王の信仰は、空海(弘法大師)が唐から帰国する際に、請来(仏像・経典などを請い受けて外国から持って来ること)したことに始まると伝わっています。
『阿州藍奥村家文書 第五巻』に記載されている、「蜂須賀逢庵光明録」には、愛染明王について以下のような記述があります。
愛染明王は福利を増進せしめらる功徳あり且つ愛敬の神として和親をも司とり父子の親、夫婦の愛も皆愛染明王の賜ものにして人の尊敬を受くるも其霊験に在りと爲し古来之れを崇信するもの多く帝の染殿に明王をいつきしも然るが故なり『阿州藍奥村家文書 第五巻』
上記の引用では、愛染明王が敬愛の神とされ、多くの御殿にあった染殿(古代において、朝廷や貴族の家、寺社などに造られ、糸や布地を染めるために用いた建物)において大切に祀られてきたというように記述されています。
愛染明王の特徴
愛染明王の特徴としては、その姿である三眼六臂にあります。
3つの眼は、法身(永遠の真理を悟った仏そのもの)、般若(仏の智慧)、解脱(悟り)を意味し、悪魔や敵を降伏(こうふく)させる力があるといいます。
「臂」はひじ・腕のことで、六臂のうち五臂には、それぞれ鈴・五鈷杵・弓・矢・蓮華を持ち、一つの腕には、何も持たずにこぶしの形になっています。(四臂の場合や持ち物が違う場合もある)
愛染明王の身体は赤く、火炎を背負っています。
蓮華の形に作った台座(蓮台)に座り、台座を支えているその下には壺のような宝瓶があります。
宝瓶の下には、貝や、焔のような飾りを付けた緑の宝珠がいくつかあります。
口は開き、頭には獅子の冠をかぶり、髪の毛は逆立ち、ひどく怒った顔をしています。
これらの外見は、慈悲の心が激しく、強さを表しているようです。
愛欲の仏様としての愛染明王は、一般的には水商売の人に信仰されていたようですが、染色業者の信仰の対象にもなったのです。
愛染明王が藍染・染色業者に信仰されるようになった理由
愛染明王が染色業者、とりわけ藍染の仕事に関わる業者に信仰されるようになった理由として、いくつか挙げられます。
一つ目が、音に合わせた語呂あわせによるものです。
愛染の「愛(アイ)」と藍染の「藍(アイ)」の発音が同じであり、愛染という字が「アイゾメ」とも読めるためです。
二つ目が、台座の下にある宝瓶を藍の液が入る藍甕に見立てたためです。
また、愛染明王がすべてのものに色彩を与える力を持つとされていたため、結果的に色に関係する人々の信仰の対象になったとも考えられています。
上記でも引用した、『阿州藍奥村家文書 第五巻』に記載されている「蜂須賀逢庵光明録」にも、藍業者と愛染明王の関係について以下のような記述があります。
藍業者にては更らに其信念を一層厚からしめ愛染と藍染を國音相通ずるを以て之れに葉藍を供齋せば必ず優美なる製藍を得るのみならず浸染に於ても佳良なる色澤を出すと今も尚ほ祭祀を怠らざりしなり『阿州藍奥村家文書 第五巻』
上記の引用では、愛染と藍染の読みが相通じることから、葉藍を愛染明王に供えることで、藍染の原料を作る段階では、より良い製藍ができるとされたり、染めにおいても良い色を出せると信じられていたことがわかります。
日曜寺の愛染明王
日本においては、さまざまな場所で愛染明王が祀られてきましたが、古くから愛染明王を大切に祀ってきたお寺として、東京都板橋区にある真言宗光明山「日曜寺」がよく知られています。
真言宗光明山「日曜寺」Webサイト:https://nichiyouji.or.jp
日曜寺は、古くから「板橋の愛染さま」として親しまれてきたお寺で、江戸市中の染色業者からの信仰を集めていました。
日曜寺というお寺の名前も、愛染明王に由来しているようです。
色や色彩を支配する愛染明王は、偉大な太陽を意味する大日如来と同体と考えられ、太陽神が広く信仰されていた時代は「日曜日」が礼拝日であったという点に、日曜寺という名前の由来があるようです。
藍問屋や紺屋、藍の栽培農家、藍染の布を織る人などによって「愛染講」 が結成され、講員とともにし、特定の縁日に日曜寺にお参りし、家業繁盛を祈願していたのです。
職人の信仰
染色・藍染業者における愛染明王への信仰のように、他の職種でもそれぞれ信仰する対象がありました。
例えば、大工や左官、桶屋や畳屋などの建設や木工に関係する職人は太子講を結成し、神仏を祀っていました。
鋳物師(鋳物を生産する技術職)や鍛冶屋などの金属を扱う関係者は、金山講を組織しました。
毎年決められた期日に講の組員が集まり、神仏を祀り、それとともに製品の価格や職人の賃金協定など、仕事に関することも相談し合っていました。
この組織は、後の協同組合的な性質を持ち合わせていたのです。
染色業者においても、更紗を仕事にする職人は、太子講を結成する場合もあったようです。
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【参考文献】
- 『埼玉県民俗工芸調査報告書 第1集 長板中型』
- 『阿州藍奥村家文書 第五巻』