世界中で、チョウ(蝶)の形を図案化した胡蝶(蝴蝶)模様(文様)が使用されてきました。
デザインにおける胡蝶・蝴蝶模様(こちょうもよう)
古代中国では、絹(繭)を生み出す蛾は非常に大切にされてきました。
幼虫から成虫になる間で、蛹になるという完全変態の過程があることから、蝶は復活と再生のシンボルとして古代中国では考えられてきました。
秦帝国の始皇帝が、皇帝としての威厳の象徴として造営したのが「阿房宮」と「驪山陵ですが、驪山陵に埋蔵されていた金製の蚕には、蘇生の願いが込められているといいます。
キリスト教においても、復活祭に関連して蝶は、キリストの復活を表すといいます。
また、家の中に蝶が入ってくると結婚が近いことを意味する民間伝承があるようです。
インドにおいても、蝶が頭の上をぐるぐる飛ぶことが結婚の前兆であるとの言い伝えがあるようです。
日本における蝶模様(文様)
日本においては、蝶の模様(文様)が奈良時代から発達していきました。
日本においても、蛹から美しい蝶に変化する様子から、鎌倉時代や室町時代頃から再生や不老不死の象徴(シンボル)とされ、武家に好まれました。
また、蝶が女性の人生と重ねられることから「女性のシンボル」として意味を持ち、着物や帯の柄としても好まれました。
蝶は平家が用いた家紋としても有名で、代表的なのが「揚羽蝶」です。
揚羽という意味は、羽を直立させて休んでいる姿を表します。
安土桃山時代(1568年〜1600年)に入ると、能装束や小袖などにも蝶が模様(文様)として用いられるようになります。
江戸時代の人々は、「士農工商」と表現される、厳しい身分制度の中で生活しており、特に、「士(武士)」と「農工商(庶民)」との身分差は大きなものでした。
次第に町人たちの経済力や文化的なレベルが高まり、文化の担い手が町人に移るようになると、蝶文様はさまざまな形でデザイン(パターン化)され、かわいらしく親しみやすいモチーフも生まれていきました。
染織品においては、蝶をモチーフにさまざまなデザインが描かれました。
江戸時代前期の17世紀ごろに作られたとされる「蝶捻花模様小袖」には、大きな揚羽蝶が表現されています。
秋草と蝶を組み合わせた模様は、能装束に好まれ、「唐織 紅白段菊薄蝶模様」はその一つです。