蓼藍(タデアイ)

正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)とは。正藍冷染の染色技法について

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宮城県栗原郡栗駒町に伝わる「正藍冷染しょうあいひやしぞめ(しょうあいれいせん)」という技法は、どの地方においても見られない特徴的な藍染です。

一般的に行われている藍染は、藍甕あいがめのなかに、アルカリ分の木灰の上澄み液である灰汁あくを入れ、蓼藍たであいの葉を発酵させて作った原料のすくもと小麦の外皮を煮出した糖分などを混ぜ、人為的に加温して発酵させます。

一方、「正藍冷染しょうあいひやしぞめ」と呼ばれるものは、人工的な加温を行わず、気温が上昇する夏の時期のみ、大きな木製のおけを使って藍のすくもを発酵させて藍染をするものです。

正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)とは

正藍冷染しょうあいひやしぞめとは、刈り取った藍の葉を「こが」と呼ばれるオケに入れて、木灰きばいを加え、自然の空気の温度だけで発酵させるもので、人為的に熱を加えたりすることはしないため、藍染できるのは夏の時期に限ります。

こうした「原始的」ともいえる藍染の方法は、奈良時代あたりに行われていたとされます。

この珍しい「正藍冷染しょうあいひやしぞめ」という技法を伝える女性であった千葉あやの(1890年〜1980年)が、昭和30年(1955年)に国の重要無形文化財(人間国宝)に指定されています。

文化財指定の際に、藍染を自然の気温を生かして行うため、「冷染ひやしぞめ」という文字が当てられたようです。

千葉さんは、この指定された古い技法で藍染するだけでなく、近くの畑で藍を栽培し、藍玉(蒅)まで自らの手で作っていました。

千葉あやのさんが藍染していた宮城県栗原郡栗駒町は、もともと文字村もんじむらと呼び、その歴史は700年〜800年と古く、村の人々は明治時代以前までは、自分で麻を栽培して、織って布を作り、藍で染めて着用していました。

明治時代の中頃までは、各農家で冷染ひやしぞめが盛んに行われており、この村だけでも30軒くらいあったといわれています。

第二次世界大戦の前までは、まだ4軒〜5軒残っていたようですが、この戦中、戦後を通じて「正藍冷染しょうあいひやしぞめ」の技法を守り抜いたのは、千葉あやのさんのみだったのです。

彼女が他界してからは、娘さんにあたる千葉よしのさんによって細々と受け継がれ、昭和34年(1959年)には、後継者として宮城県の無形文化財に指定されました。

その後は、千葉あやのさんから見ると、孫嫁に当たるまつ江さんや曽孫嫁に当たるひさ子さんも、千葉よしのさんから技法を教わっていました。

正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)の染色技法

千葉さんが育てていたのは、「ちぢみ藍」と呼ばれる蓼藍の品種です。

東北地方は寒いため、藍は4月初めごろに苗床なえどこにタネがかれ、5月末に畑に植え替えます。

6月末から7月月初めに1回目の葉の刈り取りを行い、2番刈りは8月頃に行われます。

乾燥させた葉を旧暦12月ごろに、葉に水をかけ、土間の床の上に積み上げ、わらの束を並べた上から重しをかけて放置します。

3〜4日経つと藍が発熱しているため、発熱している期間は一週間か半月ごとに手で混ぜます。

そのまま、翌年の4月までワラのとこに寝かせておきます。

この流れは、簡易的にすくもを作るようなイメージです。

4月にうすでついて藍玉あいだまを作り、木灰と混ぜて、こが(オケ)に入れておきます。

1週間ほどすると発酵が進み、泡が立ち上がり、染色が可能になります。

布となる麻は、4月にタネをいたものを9月に刈り取り、水に浸して表皮をとり、煮沸しゃふつした後、繊維を手でもんで細かく裂いていきます。

乾燥させた後、麻積あさうみ(糸ごしらえ)をしてりをかけて糸を作り、高機たかばたで織り上げます。

藍染は、麻布を水で湿らせてから、藍の汁が入ったこが(オケ)に20分ほど浸してから、空気にさらして発色させます。

染める回数で色が濃くなっていくため、繰り返すことで濃く染められます。

染めの技法上、無地染めが基本的に行われていましたが、時には小紋型による型染めも行ったようです。

【参考文献】

  1. 『草人木書苑 染織大辞典3』
  2. 『月刊染織α1992年10月No.139』
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