太布とは、古代の栲布(楮布)のように、楮や穀の繊維を糸にして織った布を表す言葉とされます。
後に藤や大麻、科など、雑繊維で織る粗布の類も含めて太布と呼ぶようになりました。
太布(たふ)と呼ばれる植物繊維
藤や楮、穀の繊維で織り上げられた布は、手触りが粗い布という意味で「あらたえ(荒妙・粗栲・荒栲)」とも言われ、『万葉集』や『古事記』などにも表れます。
7世紀後半から8世紀後半(奈良時代末期)にかけてに成立したとされる日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』には、4,500首以上歌が集められていますが、その中で「楮」は非常に多く詠まれています。
『万葉集』では、栲(楮)の皮から採った長い繊維を「栲」と言い表し、それを編んだものが「栲縄」で、「長い」を引き出す枕詞として使われていました。
「白栲の」や「荒栲の」など、枕詞に用いられたものまで加えると140首にもおよびます。
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
(訳)春が過ぎて夏の季節がやってきたようだ。夏になると衣を干すという天の香具山に、真っ白な衣が干してある
上記の引用は、誰しも一度は聞いたことがあるような『万葉集』に収められている有名な歌です。
室町後期の大永(1521年〜1528)から天文(1532年〜1555年)頃には、すでに日本での木綿栽培が広がってきていたとされていますが、それ以前には穀や楮などの太布や苧麻などの麻が一般的に使用されていたのです。
関連記事:日本の綿花栽培・木綿生産が普及した歴史。苧麻が、木綿に取って代わられた理由
太布(たふ)の産地
太布生産のおける有名な産地と産物として知られていたのは、京都府丹後地方で生産される藤布、静岡県の掛川や佐賀県唐津の葛布、新潟と山形県境の科布、徳島県那賀町木頭の楮布、滋賀県近江甲津原地区や長野県木木曽郡木曽町の開田高原で収穫された大麻で作られた太布などが挙げられます。
ただ、現在、太布を織る産地は全国でもわずかで、ほとんどが途絶えてしまいました。
江戸時代の国学者本居宣長(1730年〜1801年)が『玉勝間』に、「今の世にも、阿波ノ国に、太布といひて穀ノ木の皮を糸にして織れる布有り。」というように記しており、阿波地方の太布は、古くから世に知られる存在だったことがうかがえます。
明治時代、大正時代の頃まで、徳島の三好、麻植、名西、那賀、海部郡の広い地域の山村で、太布は山に生きる人々の仕事着や襦袢、シャツなどの衣類のほか、袋物や夜具や座布団入れなどにも使われていました。
村に出入りする商人が持参する木綿類と太布を交換するなど、自給自足時代の山村では太布は貴重な働きをしてきました。