葡萄(ブドウ)は、古くから人類にとって日常生活に欠かせない果物として扱われています。
葡萄(ブドウ)は、発生の地とされるエジプトから西アジアに至る各地において、数多くの模様(デザイン)として利用されてきました。
目次
デザインにおける葡萄唐草(ぶどうからくさ)
紀元前1425年ごろに製作された、エジプト第18王朝の「ブドウ摘み」と題する壁画があります。
二人の男がブドウ棚からブドウを摘んでいる図で、この頃から栽培が農作業として行われていたことがわかります。
古代エジプトやギリシャのブドウ模様は、ローマに至り葡萄唐草としても描かれるようになります。
ローマ帝国の皇帝であったコンスタンティヌス1世の娘コンスタンティナ(354年没)の石棺には、葡萄唐草の模様の内側で、ブドウを収穫する天使たちと孔雀と羊が精巧に描かれています。
古代ギリシャやローマにおいて、ブドウは重要な役割を果たしたにも関わらず、染織模様としては見ることはできず、葡萄唐草が染織にも使用されるようになったのは、3世紀にパルティアに代わりイラン高原を支配した農耕イラン系国家であるササン朝のペルシアやシルクロードを経た唐の都でした。
ヨーロッパにおける葡萄唐草(ぶどうからくさ)
ヨーロッパにおいては、古くに葡萄唐草として東洋に伝わっていった模様が、染織模様として登場するのは近世に入ってからのことです。
19世紀初頭のナポレオン帝政下では、ギリシャ・ローマの古典様式が復活したときで、その一連としてブドウ模様が姿をみせます。
19世紀後半にアーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)を主導したウィリアム・モリス(1834年〜1896年)は、「ざくろ」や「りんご」などの果物をモチーフとした壁紙を作っていますが、「ぶどう」を唐草状の密集した草花として描き出しています。
日本における葡萄唐草(ぶどうからくさ)
日本の正倉院や法隆寺にも、葡萄唐草の錦や綾があります。
正倉院の「紫地鳳形錦御軾」には、葡萄唐草の円の中に、鳳凰が描き出されています。
参照:正倉院の宝物を見てみよう
日本で織り出されたものとも考えられ、もしそれが本当であれば8世紀ごろにはブドウの染織模様がデザインのひとつにあったことになります。
日本の色名に、ヤマブドウの実が熟したような赤紫色のことを表す、葡萄色があります。
葡萄色は、必ずしもブドウを使用して染めた色名ではなかったと考えられますが、日本の色名には染める材料がその色名になっている場合が非常に多く、ブドウを染色に用いていた可能性が十分にあります。
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ブドウが染織模様に使用されるのは、安土桃山時代以後のことです。
安土桃山時代に製作された能装束で国宝の「摺箔 紫地色紙葡萄模様」は、えび色と摺箔で織り上げた気品に満ちた柄で、現存する摺箔の作品中でも最高位に位置付けることができる品です。
ブドウ柄は、安土桃山時代から江戸時代初期に流行し、デザインの一つとして定着していきました。
海獣葡萄唐草文(かいじゅうぶどうからくさもん)
中国唐代(7世紀〜8世紀)にかけて盛んに作られた銅鏡の一種である「海獣葡萄鏡」にある模様(文様)を、海獣葡萄唐草文と言い表します。
内円・外円とも、鈕を中心に葡萄唐草を一面にめぐらし、その中に海獣や鳥が配されています。
海獣は、しばしば獅子と同一視される中国の伝説上の生物である狻猊が一般的に用いられました。
海獣葡萄鏡は、正倉院や法隆寺などにも方鏡の蔵品があります。
【参考文献】『月刊染織α1986年1月No.58』