アイヌの伝統織物に、厚司(厚子)があります。
厚司(厚子)は、古くからアイヌの人々のあいだに伝わってきた織物で、ニレ科の植物であるオヒョウ(オヒョウダモ)の樹皮を繊維にして織られています。
目次
アイヌの伝統織物、アツシ(厚司)とは
アツ(アッ)は、アイヌの言葉でオヒョウを表し、「アツ・ニ」で「紐をとる木」という意味で、本州から機織りの技術が入るまでは、オヒョウの繊維で紐を作り、獣皮を着ていたようです。
機織りの技術が普及し、「アツ・ルシ(着物)」が一般化し「アツシ」になったというのが定説です。
その他の植物繊維で織られたものもアツシと呼ばれることもあったため、オヒョウを使用した織物のみならず、衣類を総称する言葉としてもアツシは使用されていました。
シナノキやハルニレ、ツルウメモドキやイラクサの繊維で織ったものも厚司と呼ばれたようです。
オヒョウが雑木として伐採され入手困難になったため、主にシナノキの繊維が代わりに使用されていました。
シナノキは繊維の滑りが良く、糸作りや織りの制作時間も、オヒョウに比べると3倍ほど短縮された点も、シナノキに代替された理由の1つです。
ただ、オヒョウの糸のアツシの特徴として、やわらかくしなやかな風合いをもち、あたたかく、繊維も丈夫で洗濯ができ、衣服に適している点があります。
一方、シナノキの糸のアツシは硬く、折り目が割れて繊維がほつれやすい点があり、オヒョウの糸よりもやや劣るとされます。
アツシ(厚司)の特徴
アイヌには、織りや染色で文様を出すという技法がなかったので、主に布地を切り抜いて縫い付けた切伏の技法と刺繍の組み合わせで、左右対称の幾何学模様を表現していました。
模様は、襟元や袖口、背中、裾などに丁寧かつ大胆にデザインされたりしましたが、装飾の意味だけではなく、本来の目的は魔除けであり、魔物が体内に忍び込むのを防ぐためという宗教上の意味が込められていたと考えられます。
文様は大きく分けると、「アイウシ」と呼ばれる括弧文と、「モレウ」と呼ばれる渦巻文があり、アイウシは「トゲ」のことで魔除けを意味します。
アツシの中には、シマフクロウが大きな眼をむいて、魔物をにらんでいるような大胆な図案もあるのです。
アイヌ語で着物のことをアミップ、またはチミップと呼んでいました。
着物以外の帽子(コンチ)や脚絆(ホシ)、手袋(テクンベ)、鉢巻などにも文様があり、こちらも本来の意味は魔除けにあったようです。
日常的に着るものの色合いは比較的地味でしたが、祭事用になると色とりどりで華やかなものがあったようです。
アツシ(厚司)の生産工程
オヒョウの樹皮から繊維を取り出す
オヒョウの樹皮の採取は、老木は繊維がもろく、若い木は皮が薄くて弱いため、樹齢12〜13年ごろの木が適しているとされます。
春から初夏にかけて(6月末まで)が皮の採取に適しており、7月に入ると皮を剥ぎにくくなり、繊維も弱くなってきます。
繊維を剥ぐ際に、皮の強度を外見では見分けられないため、20〜30センチほど試験的に剥いで、強さを確認してからナタで根元に切り口を入れ、木の先端の方に向けて樹皮を一気に剥ぎます。
剥いだ皮の長さは、5メートル以上の長さになり、幅は30センチメートル以上剥ぐと木が枯てしまうリスクが高くなるため、剥ぐ幅には注意していたようです。
剥いだ樹皮の処理
剥いだ皮は粗皮(厚くてかたい樹皮)を落とし、繊維として使用する内側の白い樹皮(内皮)を川などの水中にぬめりが取れるまで(1週間〜3週間ほど)浸けておきます。
樹皮の表面にのり状のものが浮いてくるので、それをそぎ落とします。
浸し過ぎると繊維が腐ってしまい、溜まり水に浸けておく場合は特に腐りやすいため注意が必要です。
不純物を完全に取り除いてから、雨にあたらないように軒先で陰干しし、乾燥すれば繊維が保存できる状態となります。
乾燥した皮は、一枚一枚薄く剥ぎ、樹皮に湿り気をかけながら爪で細く裂いていきながら糸を紡いでいきます。
結び目は機結びで繋ぎ、結び目はつぶします。
糸に撚りをかけるのが一般的な時代もあったようですが、撚りをかけない場合も多かったようです。
アツシを織る
織り機は、アイヌ語で「アツシを織るもの」を意味する「アッシ・カル・ぺ」と呼ばれるものが使用されました。
「アッシ・カル・ぺ」は、すわったまま足を動かして操作する機織具である居坐機の一種で、最も単純で原始的な織り機でした。
木綿糸が移入されてきたのもアツシ織りを大きく変えた一因であり、1800年代に入ると木綿糸を使ったアツシ織りも作られたといいます。
染色と仕立て
アツシ織りには、かならずアイヌ文様が入れられましたが、文様は病気やケガのない生活を願うという原始工芸に共通する考えからきています。
形式はありますが同一文様はなく、当時は模様によって「部族」と「家系」を知ることができたようです。
アツシの仕立ては「かがり縫い」で、着丈はふくらはぎまでの長さでした。
アイヌの信仰と生活
大昔のアイヌ人たちは、狩猟採集生活をしていて、農耕といえば家の周りにヒエやアワを栽培した程度だったようです。
北海道をアイヌ・モシリと呼び、アイヌは人間、モシリは静かな大地という意味で、文字通り自然の民として今の北海道で暮らしていたのです。
コタンと呼ばれる小さな集落や村をつくって、漁業、狩猟、機織りなどの生活が営まれ、アイヌ人の信仰は、全ての自然物に神が宿ると信じるアニミズム( animism)であったようです。
大自然の恩恵に頼って生活していたので、四季折々に神を祀り、ヒグマやサケ、マグロなど食物が採れた時は必ずお神酒を捧げて神々に感謝することを忘れないような民族であったようです。
幕府の直接の支配地域として、和人(アイヌ以外の日本人または大和民族)が入ってきてから、アツシ織りなどの技術は早い時期に失われていき、明治政府がおこなった同化政策によって、伝統的な生活や習慣、文化は徐々に消失していったのです。
アイヌはぼろぼろに傷んだ古いアツシでも無造作に捨てることはなく、きちんと畳んで人に踏まれない林に「返した」といいます。
木は単なる植物ではなく、人間同様、人格を持つ植物であり、アツシ織りは姿を変えて人間の衣となったもので、使命が終わればもとの林に帰るべきだという考えだったのです。
【参考文献】
- 荒木健也(著)『日本の染織品ー歴史から技法まで』
- 『月刊染織α 1986年7月No.64』