特色ある染織品を、「名物裂」と呼ぶことがあります。
名物裂と名付けられ、尊重されるようになる織物との関係が深いのが「茶の湯」です。
目次
名物裂(めいぶつぎれ)とは?
名物裂とは、鎌倉時代から江戸時代初期にかけて主に中国やインド、ベルシャや東南アジアから渡来した絹織物の呼び名のひとつです。
「茶の湯」において、使用される茶器は、大名物、中興名物、名物などと価値の順位付けがされていました。
当然、名のある「名物」は大事に扱われるため、その茶道具の価値によって、その包みとなる織物も同様に重要視されていました。
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ただ、茶の湯における染織品は、その当時はまだ茶器に付属しているものであり、独立した価値は特に認められませんでした。
名物茶器から離れて、付属していた布の染織美を尊ぶことになるのは、茶の湯の歴史からみるとかなり後になります。
江戸時代中期の(1691年)『鴻池家道具帳』では染織品に注目しており、江戸時代後期(1789年)の『古今名物類聚』には、「名物切之部」という項目があるように、茶器を納める袋や名画、名筆を飾る裂(布)が鑑賞の対象として尊重されるようになったのがわかります。
名物を包む裂として、「名物裂」という名前で、後世に染織文化が伝わったのは、茶の湯による功績といえます。
陶磁器や漆工などと比べると、鑑賞する対象としては扱いづらい布を、芸術品として扱った日本人の美意識が「名物裂」という名のもとに表れています。
茶道によって選び出された「名物裂」を大きく分けると、「金襴、緞子、間道」と呼ばれる主流となる三種の特色を持った裂があります。
そのほかには、錦やモール、ビロード、印金、更紗などの優れた裂などもあります。
名物裂(めいぶつぎれ)の種類
名物裂と呼ばれるものはさまざまで、数々の茶の湯における名物を飾ってきました。
今日に伝えられているものでは、特に加賀前田家伝来のものすごい量の名物裂が残っています。
毛足が長く、金糸を織り込んだビロードや、繻子織りの地に大きな模様を織り出した絹織物の反物があったりと、茶の湯からはなれ、染織美や織物美を鑑賞する対象として収集されたものともいえる品も残っています。
以下、名物裂として有名なものを紹介します。
金襴(きんらん)
金襴は、金箔糸を使用して、金色に輝く文様を織りあげたもので、多様な名物裂のなかで最も価値あるものとして重んじられています。
中国では、織金と呼ばれ、宋代(960年から1279年まで存在した王朝)に織り始められたと考えられています。
日本には、禅僧の伝法衣として渡来し、東京国立博物に所蔵されている霊芝雲文様金蘭など、数々の名品が今に伝えられています。
金襴は、そのきらびやかさから、芸能の場でも盛んに使用されてきました。
緞子(どんす)
緞子は、金襴についで注目される裂地で、金襴と色合いを比較すると深く沈んだような落ちつきのあるものとなっています。
先染めされた経糸と緯糸を使用して、表裏の織りの組織によって文様を出したり、金糸を織に少し加えたり、経糸と緯糸の色を変えたりして文様を表現しています。
間道(かんどう)
名物裂のなかで、縞や段、格子柄など特徴的な文様のものを間道と呼び、広東・漢東などの字を当てます。
間道の特徴としては、簡単にいえば「縞織物」と言えますが、縞織物の中で、茶道と深い関わりを持っていて、裂自体が優れていることが重要な要素で、それぞれの裂自体に固有の名前がついていることも「間道」であることの条件の一つでもあったようです。
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産地については諸説ありますが、洗練されたデザインや素材、技術などを踏まえると中国から織物であると考えられます。
日本でも、縞柄や格子柄が江戸時代後期から町人の間で大流行しますが、間道が日本の染織に与えた影響はとても大きなものがあったのでしょう。
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錦(にしき)
錦は、複数の色の経糸、緯糸で文様を織り出したもので、金襴とは違った豪華さがあります。
古代中国の漢代(紀元前206年〜西暦220年)では、経糸で文様を表した経錦、唐代(618年〜907年)には緯糸で文様を織る緯錦がすでに織られていたとされています。
江戸時代に江戸町人を中心に大衆文化として大きく花開いた浮世絵は、錦絵などとも呼ばれていましたが、それは浮世絵がさまざまな色糸で地色と文様を織り出した絹織物の錦のような色合いを表したためでした。
繻珍(しゅちん)
繻珍は、朱珍の字が当てられることがありますが、繻子組織を基本として、地に絵緯と呼ばれる文様を織り出します。
さまざまな色を使用するので、文様の豪華さもさることながら、地の部分の経糸が表面に並ぶことで表れる光沢感も特徴的です。
平織り、綾織、朱子織は、織りの三原組織と呼ばれていますが、繻子組織は、日本ではもっとも遅れて完成しています。
風通(ふうつう)
風通は、二重織に分類されます。
例えば、経糸に白色と紺色を交互に並べて、緯糸も同様に白色と紺色を交互並べます。
そうすると、白い経糸は白い緯糸と、紺色の経糸は紺色の緯糸とのみ組織されるので、表に白が表れている時には、裏に紺色の模様がみえるというように、表と裏で色が替わる織物となります。
二色の間に、袋状の空間ができることによって、風通という名前があります。
金羅(きんら)・金紗(きんしゃ)
金羅、金紗は、隣りあう経糸が互いにもじれながら緯糸と組織する捩れ組織の羅と紗を基本として、金箔糸を織り込んで文様を表したものです。
印金(いんきん)
中国では、金襴のように布に金色を織り込む技術が完成する前は、糊や膠、漆などで金箔を貼り付けることで金色を表現していました。
中国では、銷金と呼びましたが、羅や紗、綾地に施された例が多いです。
印金は、金箔の輝きがそのまま布地に貼り付けられるので、金色を織り込むのとは、違った風合いが感じられます。
天鵞絨(ビロード)
ビロードは、羽毛の柔らかさをほめたたえて、天鵞絨の字が当てられました。
地組織を作る経糸の他に、羽毛経と呼ばれる経糸を整えて、表面に引き出してから整えて、光沢感のある質感を表します。
南蛮船に載ってきたビロードは、日本人が全く知らない感触をもち、織田信長も魅了したとされています。
モール
インドやペルシャから渡来した織物であるモールは、いわゆるモール糸が用いられています。
モール糸は、絹糸を芯として、金銀の細い線状に切った截金(細金とも呼ばれ金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったもの)を自由に巻きつけたものです。
金銀が、織物に胡麻をまかれたような特殊な風合いを表します。
モールという名前は、インドのムガール王朝がなまって「モール」となったと考えられています。
更紗(さらさ)
更紗は、インドや東南アジアから渡来した文様染めされた織物のことをいいます。
蝋を使用することによる、防染の技術を駆使しながら、藍や茜、時には金を加えた華やかなデザインが魅力的です。
更紗という名前は、インド西の輸出港であるスラート、ポルトガル語のsaraca、スペイン語のzarazaに由来しているなど諸説あります。
更紗は、中国のみならず、世界中の人々を魅了してきました。
関連記事:更紗(さらさ)とは?基本的な染色方法と装飾加工。インド更紗における主な植物染料について
名物裂とデザインと色合い
上記で名物裂の種類を説明してきましたが、その文様は織物によってもさまざまです。
文様に関しては、唐草文様や雲、宝尽し、龍、鳳凰など中国を起源するものがやはり多くあります。
色合いに関しても、金襴や緞子のように豪華な金色が名物裂としての一番の価値としてありました。
【参考文献】『名物裂 (京都書院美術双書―日本の染織)』