鹿は古くから人間と関わりが深かったため、文様(模様)表現として活用された歴史も非常に古いです。
中国大陸最古の王朝である殷の時代から、鹿頭の飾りが用いられたり、中国神話に現れる伝説上の動物である麒麟のモチーフにもなっています。
日本においても弥生時代に製造された青銅器である銅鐸のなかに、鹿の模様(鹿文)が描かれているものがあることから、その当時から関わりがあったことを示しています。
デザインにおける鹿文(しかもん)
奈良時代には、多くの鹿文が染織品に表現されていたとされます。
正倉院に所蔵されている「麟鹿草木夾纈屏風」には、中央の草木を中心に向かい合った二頭の鹿が描かれています。
このほかにも、鹿がヒザをついて座っているデザインが写実的に描かれる「茶地鹿花卉丸文夾纈羅几褥」などがあります。
夾纈とは、板と板の間に生地をきつく挟み込むことで、その部分を防染する、いわゆる板締めの技法です。
平安時代には、鹿と紅葉がセットとになった文様が一つのテーマとなって表現されます。
海外から舶来した名物裂である「有栖川錦」には、斜めの線が交差した襷状の枠の中に鹿文が表現され、その配色と柄のバランスの良さによって鹿文の代表的な作品とされてきました。