桔梗は、古くから人々から愛された植物で、和歌や絵画、デザインにおける模様(文様)の題材として活用されてきました。
特に、秋の野に咲く草花の風情を文様化(模様化)した秋草文の一つとして桔梗が描かれることが多くありました。
デザインにおける桔梗文(ききょうもん)
16世紀の安土桃山時代つられた、京都の高台寺に所蔵される「秋草蒔絵歌書箪笥」には、桔梗を模様化した桔梗文が描かれています。
染織品においても秋草の一つとして扱われ、小袖や、唐織、縫箔、腰帯などの遺品にみることができます。
画家として有名な尾形光琳や尾形乾山らは、好んで桔梗を描きました。
例えば、江戸時代前期に作られた光琳の「蒔絵螺鈿野々宮図硯箱」や江戸時代中期に乾山によって作られた「乾山色絵桔梗文盃台」などさまざまあります。
光琳の作品として有名な通称「冬木小袖」と呼ばれる「小袖 白綾地秋草模様」は、白い絹地に秋草を描いた小袖です。
重要文化財に指定されているこの小袖は、宝永元年(1709年)に寄宿した江戸・深川の材木問屋であった冬木家の夫人・ダンのために描いたといわれるため、「冬木小袖」という名称で親しまれています。
菊、萩、 芒といった秋草とともに 桔梗が描かれ、藍の濃淡で、上半身には 桔梗の花むらが広がり、腰から下には菊や萩が咲き乱れるように描かれています。
紋章としての桔梗紋
日本の古典文学作品の1つである『太平記』には、武家で華族だった土岐氏
が指導した一揆を「桔梗一揆」と記しています。
当時の一揆の名前は、一揆を指導した人物が用いた紋章からつけられたため、土岐氏が桔梗紋を用いたとされます。
戦国時代末期には、明智光秀や加藤清正(1562年〜1611年)なども桔梗紋を用いていました。