譲葉(学名 Daphniphyllum macropodum Miq.)は、本州中南部、四国、九州を中心に海から離れた内陸の山地に自生し、海外では、朝鮮半島や中国にも分布しています。
属名のDaphniphyllumは、 ギリシャ語のdaphne(月桂樹の古名)+phyllon(葉)で、月桂樹の葉のようなさまであることを意味しており、種名のmacropodumは、大脚、もしくは長脚の意味で、葉っぱが長いことに由来しています。
常緑樹で、樹高は4m〜10mほどの高さまで成長し、葉っぱは15cm〜20cmほどの大きさになり、葉の美しさから、庭木としても用いられます。
新しい葉の出る初夏の時期に、黄緑色の小さな花をつけます。雌雄異株で、受粉後には雌花は楕円形の実となり、熟すと黒味がかった藍色になります。
目次
譲葉(ユズリハ)の歴史
ユズリハと人々との関わりの歴史は古く、平安時代にまとめられた三代格式の一つである『延喜式(927年)』によると、新年や大嘗祭において、神仏の供物をのせる器としてユズリハが用いられていました。
関連記事:古代日本人の色彩感覚を延喜式から読みとる。衣服令(服色制)と草木染めについて
鎌倉時代前期の公家で歌人の藤原知家(1182年〜1258年)は、「これぞこの春を迎ふるしるしとて ゆずるはかざし帰へる山人」と歌い、正月を迎えるしるしとしてユズリハを使う習慣があったことがわかります。
996年〜1008年の平安中期の間に成立したとされる日本最初の随筆文学である『枕草子』「木は」(37段)には、ユズリハの上に食物を置き、木を歯固め(赤ちゃんが噛むことで歯を刺激し、噛む練習をしたり、歯ぐずりを解消したりするための道具)に使ったことが記載されています。
楪葉のいみじうふさやかにつやめきたるは、いと青うきよげなるに、思ひかけず似るべくもあらず、茎の赤うきらきらしう見えたること卑しけれどもをかしけれ、なべて月頃はつゆも見えぬ物の、しはすの晦日にしも時めきて、なき人のくひ物にも敷くにやと哀なるに、又よはひ延ぶる歯固の具にもして使ひためるはいかなるにか、紅葉せむ世やといひたるもたのもし」『枕草子』「木は」(37段)
譲葉(ユズリハ)の名前の由来
ユズリハの和名は、新葉と旧葉とが譲り合うという意味からきています。
1709年(宝永7年)に刊行された『大和本草』にユズリハの記載があります。
『大和本草』は、明治時代に生物学や農学の教本がヨーロッパから輸入されるまでは、日本史上最高峰の生物学書であり農学書でした。
「春新葉生トゝノヒテ、後旧葉ヲツ。故ニユヅリハト名ヅク。又和名親子草ト云。コゝを以テ倭俗歳首ノ賀具トス。・・・・・」『大和本草』
つまり、春先に若葉が真っ直ぐ上を向いて芽吹くと、その下の古い葉っぱが次第に落葉する様からユズリハと名付けられたというようなことを言っています。
新葉と旧葉の交代する様子は、ユズリハに限ったものではなく、一般的な常緑樹にも当てはまる特徴ですが、ユズリハは葉っぱが大きく、色も美しく、新葉と旧葉の入れ替わりが激しい様が昔の人々を魅了したと考えられます。
別名もたくさんあり、オヤコグサ、コバネハ、ツルシバ、ツルノハ、ワカバなどが挙げられます。
染色・草木染めにおける譲葉(ユズリハ)
植物染色における名著『染料植物譜(後藤捷一・山川隆平著)』では、植物学者であった工藤祐舜博士の「樹皮を染料に供す」という文献から、ユズリハを染料植物として紹介しています。
ユズリハの樹皮には、2〜3%のタンニンが含まれているので、茶系統の染色が可能です。
譲葉(ユズリハ)の薬用効果
タンニンのほかに、ダフニマクリンという有毒物質のアルカロイドが含まれており、誤って食べたりすると、呼吸困難や心臓麻痺などの症状が現れる可能性があります。
アルカロイドは毒物とされるが、少量なら薬になるとされ、民間療法では葉を陰干ししたものを煎じたり、粉末を使用していました。
効果としては、喘息や肺結核の咳止め、利尿作用、腹痛、虫下しなどに効果があるとされていました。
樹皮や葉の煎じた液を使って、皮膚が炎症してできた腫れ物の幹部を洗ったり、家畜やネコ、イヌなどの駆虫のために煎じた液で洗浄したようです。
救荒食物として、若葉をゆでてよく水洗いし食用とされ、紀州の熊野では若芽を正月菜として食べることがあります。
参考文献:『月刊染織α1982年1月No.10』