吾亦紅は、日本各地の高原や草むらの日当たりの良いところに自生しているバラ科の多年草で、アジアやヨーロッパの北半球に広く分布しています。
茎が直立しており、約1mの高さに生長します。
夏から秋にかけて茎の先端が枝分かれし、その長い枝先に黒紅紫色で、小さい花が密集し、桑の実に似たような形になります。
漢名では、地榆、玉豉などと言いますが、中国の本草学史上において分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作である『本草綱目(1596年刊)』には、「葉が楡に似て長く、生えたばかりには地に匐い布くものだから地榆と名付けた」また「その花、子が紫黒色で豉のようなところから玉豉と名付ける」とあります。
そんな特徴的な花を咲かす、吾亦紅の染色における利用や薬用効果、歴史について紹介します。
目次
染色・草木染めにおける吾亦紅
吾亦紅は、染色・草木染めにおいて、その根っこや茎や葉っぱが用いられます。
植物染色における名著『染料植物譜』には、吾亦紅を染料植物として、「満蒙有用植物名彙に染料と記載す。恐らくその利用部は根なるべし」と挙げられています。
山崎青樹著『草木染日本の色』には、茎葉を用いて塩鉄媒染で紫褐色に、ミョウバンで媒染して青味がかった黄色、木灰・鉛で黄色、銅で媒染して黄茶になると染料としての活用について記載があります。
吾亦紅の成分としては、根っこと根茎には、タンニン、サングイソルビンというサポニンの一種などを含み、葉っぱにもタンニンやビタミンCが含まれており、色が染まる理由としては、葉っぱや根っこにタンニンが含まれていることによるものと考えられます。
吾亦紅(地榆)の薬用効果
中国最古の薬物学(本草学)書であり、個々の生薬の薬効について述べている『神農本草経』に、地榆として記載されています。
『神農本草経』の特徴として、1年の日数と同じ365種類の植物・動物・鉱物が薬として集録されており、人体に作用する薬効の強さによって、上薬(120種類)中薬(120種類)下薬(125種類)というように薬物が3つに分類されている点があります。
上薬・中薬・下薬は、上品・中品・下品ともいいますが、地榆は、中品に収録されており、地中を横に延び根のような茎である根茎や根っこそのものを薬用部分として使用されます。
薬効としては、止血収れん薬として漢方に配合されたり、一日15g〜30gを煎じて飲むことで、吐血や鼻血、月経過多の止血のために使用されました。また、気管支炎の痰を出しやすくする去痰薬や下痢などの整腸薬として、切り傷や皮膚病に対して煎じた液で洗浄したりなどと、さまざまな形で民間療法で用いられてきました。
ワレモコウの属名を示す「Sanguisorba」は、ラテン語のSanguls(血)とSorbere(吸収する)からの成語で、西洋でも古くから止血薬として使用されていたことに由来しています。
日本における吾亦紅の歴史
吾亦紅は、漢名で地榆ですが、日本においては『出雲風土記(733年)』に地榆という記述があり、夷の国(異国)からきた薬根という意味であるとされます。
『延喜式典薬寮』に記載された「諸国進年料雑薬」には、山城国や大和国の地榆が朝廷に献上されていた記録があり、平安時代には薬種として広く知られていたのではないかと推定されています。
平安時代の漢和辞書である『新撰字鏡(892年)』には、曽比久々佐という名で、平安時代の薬物辞典であった『本草和名(918年)』には、阿也女多矣や衣比須彌などの名前が挙げられています。
『源氏物語(匂宮の巻)』や『狭衣物語(1100年頃)』にも、この言葉が登場しています。
日本三大随筆の一つと評価され、吉田兼好が書いたとされる随筆『徒然草(鎌倉時代末期)』には、家にあったら良い植物として、萩、すすき、桔梗、萩、女郎花、菊などとともに吾亦紅を挙げています。
われもこうには、吾亦紅や吾亦香の字が当てられ、語源は諸説ありますがはっきりしていないようです。
食用としての吾亦紅
吾亦紅は、食用としても食べられます。
5月ごろに、若く柔らかな新芽の葉っぱを茹でてから水に浸し、苦味を取り除いてから和えものやお浸しにしたり、葉っぱをお茶の代用として飲用したり、茎葉を乾燥してから粉砕し、米粉と混ぜで団子にすることもあるようです。
薬用効果のある植物は、食べ物に、そして染色に使用されるというのは薬がなかった時代の人々の知恵であることは疑いのない事実です。
【参考文献】『月刊染織α 1981年9月No.6』