1933年に初版が発行された、谷崎潤一郎(1886年〜1965年)の名著『陰影礼賛』。
『陰影礼賛』は、私たちが当たり前に使っている電気がなかった時代における、日本の美の感覚や芸術的な感性について論じたものです。
表題が「陰影礼賛」であるように、まさに「陰影(光の当たらない部分、かげ)」を「礼賛」(すばらしいものとしてほめたたえること)している本です。
日本人の感性や美意識、そしてデザインなどに興味がある人にとっては非常に参考になる本です。
目次
日本人は、陰影(いんえい)に美を見出した
本書では、昔の人々が、陰影に対してどのようなアプローチをしたのかを西洋の文化と日本を対比させて論じています。
西洋では、可能な限り陰影の部分を消していく方向でしたが、日本ではむしろ陰影を認め、その暗さを利用することで文化や芸術を作り上げました。
陰影の扱い方が日本古来の美意識や美学の特徴だと、谷崎潤一郎は主張しています。
例えば、本文には下記のような記述があります。
暗い部屋に住むコトを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰影のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰影を利用するに至った。事実、日本の座敷の美は全く陰影の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何にもない。谷崎潤一郎(著)『陰影礼賛』
暮らしの中に当たり前のように陰影があったため、いかに陰影を活用して美しさを表現するかという考えになったのだと思います。
また、陰影について以下のような記述があります。
「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう。われらといえども少年の頃は、日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寒けを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰影の魔法であって、もし隅々に作られている影を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はただの空白に帰するのである。谷崎潤一郎(著)『陰影礼賛』
東洋の神秘と言われたものは、つまるところ陰影によるものであり、陰影を消してしまえば、その神秘は消えてしまうということなのでしょう。
京都の寺院を例に挙げてみると、苔が一面にむしている庭や、建物内の薄暗い廊下をイメージできます。なんとなく暗くジメジメとしているような印象の中に、格調高い美しさを感じます。
そういった意味では、確かに昔の日本人は陰影を大切にしていたことが感じられます。
なぜ陰影が礼賛されたのか?
陰影が礼賛されてきた理由としては、さまざまな要因があるかと思います。
日本的な美意識を考える上では、中世からの和歌における「余情幽玄の美」や、千利休(1522年〜1591年)によって大成された茶の湯の美意識を意味する「わび」なども、その美意識に影響しているとも考えられます。
中世からの美意識は、綺麗なもののみを美とするのではなく、枯れたり、褪せたものにも美の存在があるとも考えられるようになり、この伝統は長く続きました。
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お歯黒(おはぐろ)は、陰影の美しさに関係している
誰しも疑問に思ったことであろう昔の人々の習慣に、「お歯黒」があります。
文字通り、お歯黒は歯を黒く塗るのですが、なぜそれが昔の女性にとっての美であったのか、以下のような記述があります。
鎌倉時代の町家の娘や女房のものなどは驚くほど地味であるが、それは要するに、衣装というものは闇の一部分、闇と顔のつながりに過ぎなかったからである。
お歯黒などと云う化粧法が行われたのも、その目的を考えると、顔以外の空隙へ悉く闇を詰めてしまおうとして、口腔へまで暗黒を啣ませたのではないであろうか。谷崎潤一郎(著)『陰影礼賛』
歯を黒く塗りつぶすことで、顔を白く浮きだたせていたのです。陰影を利用した美的感覚が、歯を黒く塗るという行為につながったのだと思います。
昔の女性が眉毛を剃り落していたのも、顔を際立たせるための手段ではなかったかと、同様に筆者は主張しています。
陰影の中に広がる日本的なデザイン
陰影と美しさは、古人にとって切っても切り離せない関係だったのでしょう。
本書を読むことで、陰影を利用するという視点を持てるようになります。空間デザインなどを注意深く見てみると、まさに陰影を活用できる事例がたくさん挙げられます。
例えば、ウルシを塗った漆器の美しさは、ぼんやりした薄明かりの中でこそ、初めてほんとうに発揮させるものだったように、陰影を利用することで、モノの美しさを引き出すこともできるのです。
本書を読むことで、日本的な美の本質的なところに触れることができます。
陰影の中に広がっていく日本的なデザインを紐解いているのが、『陰翳礼讃』なのです。
【参考文献】谷崎潤一郎(著)『陰影礼賛』