御召とは、御召縮緬の略称で、先練り、先染めに縮緬です。
御召の特徴としては、普通の縮緬よりも地風(布地がもっている風合い)がやや硬く、重く感じます。
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御召(おめし)の由来
御召の名前の由来としては諸説ありますが、11代将軍の徳川家斉にちなんだものが定説化しているようです。
江戸時代の寛政年間(1789年~1801年)に、現在の群馬県の桐生地域に産した柳条縮緬が幕府に献上された際に、時の将軍の徳川家斉に喜ばれ、留柄しました。
留柄とは、将軍や大名が自分専用の模様を定め、それを「留柄」や「定め紋」といいました。
その後、桐生では、縞の柄を変えて、「御召縮緬」と名付けて売り出したのです。
御召は、明治時代以後、大正、昭和の第二次世界大戦まで、織りのきものの代表的なものの一つとして、人々に愛され、さまざまな風合いの御召が開発されました。
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御召(おめし)の産地
御召の産地としては、群馬県桐生市や京都府西陣、新潟県十日町、東京都八王子市などが知られていました。
群馬県の桐生市は、「西の西陣、東の桐生」と並び称されるほど、古くから織物の町として栄えました。
御召が桐生で織られるようになったのは、江戸時代中期の元文3年(1738年)に、京都西陣の織工(おりこう)であった弥兵衛と吉兵衛という名前の2人が関係しています。
それまで平織機しかなかった桐生に、彼らが高機(たかはた)を持ち込んで縮緬や絽(綟り織で織られる、薄く透き通った絹織物の一種)などの技法を伝えたとされています。
これをきっかけに、西陣が独占していた高機による高級織物を桐生で織り出し、その後、天保年間(1831年〜1844年)に、本格的に御召が織られたようです。
御召(おめし)の種類
御召の種類としては、いくつか挙げることができます。
- 縫い取り御召
- 紋御召・・・紋御召は、華紋織とも呼ばれます。紋織機によって経糸を浮かし、絵緯糸を用いて紋様を織り出した御召です
- 風通御召
- 絣御召
- 縞御召
御召(おめし)の技法
御召の技法としては、まず経糸と緯糸ともに練絹糸(経糸、緯糸ともに精練していない生糸で織った絹織物)を使用します。
まず、諸撚された経糸と、右撚りと左撚りとの下撚りされた緯糸は、精錬されます。
緯糸は、うどん粉や生麩粉、わらび粉などを混ぜて作った「御召糊」で糊付けされた後、八丁撚糸機で強撚りがかけられます。
製織は、ジャガード機で織り上げられます。
織り終わった後に、お湯の中に浸して強くもみ、「しぼ寄せ」を行います。
乾燥させてから、湯のし、幅出しなどの仕上げの作業があります。