江戸時代後期の文政13年(1830年)、『機織彙編(きしょくいへん)』という書物の初版が発売されました。
筆者は、現在の栃木県にあたる下野国の黒羽藩11代藩主であった大関増業(1781年〜1845年)です。
大関増業は、伊予国大洲藩主であった加藤家に天明2年(1782年)に生まれ、文化8年(1811年)に、大関家の養子となり、翌年の文化9年(1812年)に領地であった黒羽(現在の栃木県)に入ります。
養蚕や機織り、染色技法について記された『機織彙編(きしょくいへん)』
大関増業が藩主であった時代、領内の産業振興のために積極的に養蚕や織、染色などの技術を研究し、『日本書紀』の調査や50年にも及ぶ気象観測誌を残したりと、非常に博識でした。
彼の著書で、後世において科学史や技術史書として評価された故実書である『止戈枢要』の一部を抜き、全五巻として刊行したものが『機織彙編』です。
『機織彙編』には、桑や麻などの栽培方法から、養蚕や製糸、藍染や臙脂などの染色方法、各種の織機の図解や織物技法、組紐や打紐などについて詳細な記述があります。
非常に優れた書物であったため、しばしば体裁を変えて刊行されました。