デザインにおける桔梗文(ききょうもん)


桔梗ききょうは、古くから人々から愛された植物で、和歌や絵画、デザインにおける模様(文様)の題材として活用されてきました。

特に、秋の野に咲く草花の風情を文様化(模様化)した秋草文あきくさもんの一つとして桔梗ききょうが描かれることが多くありました。

デザインにおける桔梗文(ききょうもん)

16世紀の安土桃山時代つられた、京都の高台寺に所蔵される「秋草蒔絵歌書箪笥あきくさまきえかしょだんす」には、桔梗ききょうを模様化した桔梗文ききょうもんが描かれています。

染織品においても秋草の一つとして扱われ、小袖こそでや、唐織からおり縫箔ぬいはく、腰帯などの遺品にみることができます。

画家として有名な尾形光琳おがたこうりん尾形乾山おがたけんざんらは、好んで桔梗ききょうを描きました。

例えば、江戸時代前期に作られた光琳の「蒔絵螺鈿野々宮図硯箱まきえらでんののみやずすずりばこ」や江戸時代中期に乾山によって作られた「乾山色絵桔梗文盃台けんざんいろえききょうもんはいだい」などさまざまあります。

光琳の作品として有名な通称「冬木小袖ふゆきこそで」と呼ばれる「小袖 白綾地秋草模様しろあやじあきくさもよう」は、白い絹地に秋草を描いた小袖です。

白綾地秋草模様小袖(しろあやじあきくさもよう),冬木小袖(ふゆきこそで)

白綾地秋草模様小袖,(しろあやじあきくさもよう),冬木小袖(ふゆきこそで),国立博物館所蔵品統合検索システム(ColBase), CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons,Link

重要文化財に指定されているこの小袖は、宝永ほうえい元年(1709年)に寄宿した江戸・深川の材木問屋であった冬木家の夫人・ダンのために描いたといわれるため、「冬木小袖」という名称で親しまれています。

菊、はぎすすきといった秋草とともに 桔梗ききょうが描かれ、あいの濃淡で、上半身には 桔梗ききょうの花むらが広がり、腰から下には菊やはぎが咲き乱れるように描かれています。

紋章としての桔梗紋

日本の古典文学作品の1つである『太平記たいへいき』には、武家で華族だった土岐氏ときし
が指導した一揆いっきを「桔梗一揆ききょういっき」と記しています。

当時の一揆の名前は、一揆を指導した人物が用いた紋章からつけられたため、土岐氏ときし桔梗紋ききょうもんを用いたとされます。

戦国時代末期には、明智光秀あけちみつひで加藤清正かとうきよまさ(1562年〜1611年)なども桔梗紋ききょうもんを用いていました。


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