呉服商である雁金屋(かりがねや)に関係した染織を知る上で貴重な資料


江戸時代前期頃の京都の呉服商である雁金屋かりがねやは、画家として有名な尾形光琳おがたこうりん尾形乾山おがたけんざんの生家です。

尾形光琳おがたこうりんは日本画家として数々の有名な作品を残しており、例えば国宝の「燕子花図かきつばたず」は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品としても知られています。

尾形光琳,燕子花図(かきつばたず),Irises screen 2

尾形光琳,燕子花図(かきつばたず),Ogata Kōrin, Public domain, via Wikimedia Commons,Link


呉服商である雁金屋(かりがねや)

雁金屋かりがねやは、尾形光琳おがたこうりん曾祖父そうそふである尾形道柏おがたどうはく淀君よどぎみ淀殿よどどの)らを顧客とし、高級呉服商の基礎を築きました。

光琳や乾山の父親である尾形宗謙おがたそうけん(1621〜1687)の代には、徳川家の御用商として、江戸幕府の第2代将軍徳川秀忠とくがわひでただ(1579年〜1632年)の夫人や徳川家康の内孫である東福門院とうふくもんいん(1607年〜1678年)らの呉服を扱って栄えました。

雁金屋衣裳注文帳(かりがねやいしょうちゅうもんちょう)

雁金屋かりがねやが扱った「雁金屋衣裳注文帳かりがねやいしょうちゅうもんちょう」は、主として徳川家に関係する呉服注文書、および図案帳に関するものです。

慶長けいちょう7年(1602年)から延宝えんぽう6年(1678年)まで各種が現存しているため、当時を知る貴重な資料となっています。

雁金屋衣裳注文帳かりがねやいしょうちゅうもんちょうの中でも、東福門院とうふくもんいん(秀忠の女和子、後水尾天皇の中宮)に関する注文書(元和げんな9年・延宝えんぽう6年)と図案帳(万治まんじ4年・寛文かんぶん3年)は、当時の染織を知る上で貴重な資料となっています。

雁金屋呉服関係文書(かりがねやごふくかんけいもんじょ)

雁金屋呉服関係文書かりがねやごふくかんけいもんじょは、雁金屋かりがねやに残っていた注文台帳、および支払い関係の文書です。

尾形光琳おがたこうりんの子・寿市郎の養子先であった小西家に伝わったので、「小西家文書」とも言います。

主なものは、御染地元帳(慶長7年、8年)・売物日記・雁金屋受取控(慶長9年〜17年)・徳川秀忠大奥支払書(慶長19年〜元和9年)・同大奥紅花支払書(寛永元年〜3年)・後藤縫丞呉服注文書・衣裳図案帳(万治4年〜寛文3年)・東福門院御用呉服書上帳(延宝6年)などがあります。

安土桃山時代から江戸時代前期の高級呉服の色や文様(模様)、材質、技法、寸法、染賃などを知る貴重な資料です。


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