歌舞伎文様は、江戸時代の歌舞伎芝居の当り狂言や、人気役者が扮装(ある人物の姿になること)するため用いた模様(もんよう)です。
ファッションにおける歌舞伎文様(かぶきもんよう)
歌舞伎文様は、一般の服飾(ファッション)に影響を与え、流行の発生源にもなっていました。
元禄5年(1692年)に刊行された『女重宝記』は、女性のための実用・教訓書として、日常生活に必要な知識や作法などが記されていますが、歌舞伎文様についての記載が以下のようにあります。
「時のはやりもやうは大かた歌舞伎しばいより出づる」『女重宝記』
つまり、「流行りの模様は、ほとんど歌舞伎芝居から出てくる」というように記載されているのです。
歌舞伎芝居が大衆に影響
歌舞伎芝居から、大衆の風俗(模様表現)への影響は江戸時代前期から多くあります。
- 貞享(1684年〜1688年)に伊藤小太夫が始めた「小太夫鹿子」
- 元禄(1688年〜1704年)頃の中村千弥から出た紫色の大紋である「千弥染」
- 寛保・延享(1741年〜1748年)頃の佐野川市松による「市松染」
- 嵐小六による「小六染」
- 市村亀蔵による渦巻の「亀蔵小紋」
文化・文政(1804年〜1830年)頃には歌舞伎全盛期を迎え、多くの優れた俳優が生まれたため、流行した模様(文様)が数多くあります。
- 岩井半四郎の「半四郎鹿子」
- 中村歌右衛門の「芝翫縞」
- 坂東三津五郎の「三津大縞」・「花勝見」
- 松本幸四郎の「高麗屋縞(高麗屋格子)」
- 市川団十郎の「鎌輪奴」・「三枡」
- 屋上菊五郎の「菊五郎格子」・「斧琴菊」