ファッションにおける歌舞伎文様(かぶきもんよう)


歌舞伎文様かぶきもんようは、江戸時代の歌舞伎芝居の当り狂言や、人気役者が扮装ふんそう(ある人物の姿になること)するため用いた模様(もんよう)です。

ファッションにおける歌舞伎文様(かぶきもんよう)

鳥居清重「(宝珠と熨斗の台を持つ佐野川市松)」Sanogawa Ichimatsu I

鳥居清重「宝珠と熨斗の台を持つ佐野川市松」Torii Kiyoshige, Public domain, via Wikimedia Commons,Link

歌舞伎文様かぶきもんようは、一般の服飾(ファッション)に影響を与え、流行の発生源にもなっていました。

元禄げんろく5年(1692年)に刊行された『女重宝記おんなちょうほうき』は、女性のための実用・教訓書として、日常生活に必要な知識や作法などが記されていますが、歌舞伎文様かぶきもんようについての記載が以下のようにあります。

「時のはやりもやうは大かた歌舞伎しばいより出づる」『女重宝記おんなちょうほうき

つまり、「流行りの模様は、ほとんど歌舞伎芝居から出てくる」というように記載されているのです。

歌舞伎芝居が大衆に影響

歌舞伎芝居から、大衆の風俗(模様表現)への影響は江戸時代前期から多くあります。

  • 貞享じょうきょう(1684年〜1688年)に伊藤小太夫が始めた「小太夫鹿子こだゆうかのこ
  • 元禄げんろく(1688年〜1704年)頃の中村千弥から出た紫色の大紋だいもんである「千弥染せんやぞめ
  • 寛保かんぽう延享えんきょう(1741年〜1748年)頃の佐野川市松による「市松染いちまつぞめ
  • 嵐小六による「小六染ころくぞめ
  • 市村亀蔵による渦巻の「亀蔵小紋かめぞうこもん

文化・文政(1804年〜1830年)頃には歌舞伎全盛期を迎え、多くの優れた俳優が生まれたため、流行した模様(文様)が数多くあります。

  • 岩井半四郎の「半四郎鹿子はんしろうかのこ
  • 中村歌右衛門の「芝翫縞しかんじま
  • 坂東三津五郎の「三津大縞みつだいじま」・「花勝見はなかつみ
  • 松本幸四郎の「高麗屋縞こうらいやじま(高麗屋格子)」
  • 市川団十郎の「鎌輪奴かまわぬ」・「三枡みます
  • 屋上菊五郎の「菊五郎格子きくごろうごうし」・「斧琴菊よきこときく

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