宮古上布(みやこじょうふ)とは?宮古上布の技法について


宮古上布みやこじょうふとは、沖縄の宮古島で織られる織物で、越後上布えちごじょうふ能登上布のとじょうふと並んで、日本においても代表的な上布じょうふの一つです。

宮古上布(みやこじょうふ)とは?

宮古島は、那覇から西南300キロの位置にあり、島の面積は約182km²で、サトウキビの生産でも知られています。

宮古上布みやこじょうふの由来は、天正てんしょう11年(1583年)に、この島に住む下地真栄しもじしんえいの妻である稲石いないしが、当時の琉球王の尚永王しょうえいおう(1559年〜1589年)に「綾錆布あやさびふ」を献上したところにあると伝えられています。

この「綾錆布あやさびふ」は、美しい錆色さびいろをした上布じょうふという意味で、いわゆる紺上布こんじょうふを表し、これが現在の宮古上布みやこじょうふの始まりとされています。

現在も、宮古島市(旧平良市ひららし)にある貢布座屋敷跡こうふざやしきあと(宮古神社内)には、「稲石刀自之碑」が建っており、毎年11月30日に稲石祭りが行われています。

江戸時代の初期、琉球りゅうきゅう薩摩藩さつまはんの支配下になると、宮古上布みやこじょうふも首里王府から薩摩藩さつまはんへ献納されるようになります。

その当時は、紺上布こんじょうふが多く、「薩摩上布さつまじょうふ」の名で大阪や江戸へ売り出されました。

明治時代を経て、大正の頃には、最盛期を迎えましたが、第二次世界大戦後には、ほとんど生産されなくなりました。

宮古上布みやこじょうふの特徴としては、ろうを引いたような滑らかな光沢を持ち、亀甲きっこう七宝しっぽう、花柄などを細かくかすり柄で一面を埋めつくした精緻せいちなものです。

反物を巻いた状態の太さが一般的なものと比べると細く、非常に薄く織られています。

宮古上布の技法

原料は、宮古島さんの苧麻ちょまが用いられていました。

刈り取った苧麻ちょまの表皮をぎ取り、内側の繊維が糸になります。

繊維を爪で細く裂き、結び合わせて糸にし、糸を扱いやすくするために、カセにのり付けをして、干した後、整経します。

糸を、苛性かせいソーダや木灰からつくったアルカリ性の液体である灰汁あくで精錬、漂白してから、糸にのり付けします。

図案にしたがって織締機おりしめばたにかけて、絣莚かすりむしろを作り、染色します。

絣莚かすりむしろとは、絣模様となる部分に木綿糸で織り締めて筵状むしろじょうに仕上げることで、防染する技法です。

染色は、琉球藍による浸染が行われ、染色後に絣莚かすりむしろを解いて、水洗いし、筬通おさとおし、綜絖通そうこうとおしを経て、高機たかばたで織り上げます。

織り上げてからは、生の松葉と一緒に3時間ほど煮てから、半乾きの状態でサツマイモから作ったのりを付け、木槌きづちで丁寧に砧打きぬたうちしてから仕上げていたようです。


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