アイリス(Iris)の花は、その色から、希望や光、無垢の愛などのイメージを持つ花として愛されています。
ギリシャ神話には、「虹の女神」といわれるアイリス(Iris)が登場し、彼女は、天界と地界とを結ぶ美しい虹色の橋をかけ、地上に不穏な動きがある時は、天から地へ、地から天への連絡役を引き受けたといいます。
アイリスの花は、「虹の女神」の色彩を写しとった花として、ヨーロッパの人々に愛されてきたのです。
ヨーロッパのデザインにおけるアイリス(Iris)
アイリスの花は、ヨーロッパおいてタペストリーや絵画などさまざまなもののデザインのモチーフとされてきました。
アイリスは、キリスト教図像学では、高貴や無垢、神聖などのシンボルであるため、そのイメージを汲んだデザインも多く見受けられます。
ルネッサンスの頃(14〜16世紀)には、アイリスは様々な美術品に登場します。
ヤン・ファン・エイク(1390年頃〜1441年)『泉の聖母』(Madonna bij de fontein)。
レオナルド・ダ・ヴィンチの、『岩窟の聖母』(Vergine delle Rocce)。
アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)の『アイリスのマドンナ』(Albrecht Dürer)など、数多くの美術品にアイリスが登場し、キリスト教の「受胎告知」、信仰の象徴とされていました。
17世紀には、「花のブリューゲル」との異名をとった画家、ヤン・ブリューゲル(Jan Brueghel de Oude)をはじめとして、数多くの画家たちによって描かれました。
ヤン・ブリューゲルの『花』には、バラ、チューリップ、ユリ、スイセン、カーネーションに混じって、アイリスが描かれています。
フーゴー・ファン・デル・グース(Portinari Altarpiece)の『ポルティナーリ祭壇画』にはユリやオダマキとともに、アイリスが描かれています。
アイリスは、18世紀後半から19世紀にかけて、染織模様のモチーフとしても数多く登場してきます。
19世紀初頭、フランスのリヨンでは、バラの柄をはじめとして、数多くの紋織物が制作され、その中にもアイリスをモチーフにしたものも含まれています。
19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動であるアール・ヌーボー期(Art nouveau)の代表的なガラス作家であるエミール・ガレ(1846年〜1904年)の作品にもアイリス模様のガラス器があります。
日本のデザインにおけるアイリス
日本におけるアイリスは、燕子花(学名Iris laevigata)やアヤメ(学名Iris sanguinea)、ハナショウブ(学名Iris ensata)、シャガ(学名Iris japonica)など、専門的には区別されています。
7世紀後半から8世紀後半にかけて編集された、現存する日本最古の歌集である『万葉集』には、燕子花が詠われており、古くから人々に親しまれていたことがわかります。
平安時代の歌人である在原業平思わせる男を主人公とした和歌にまつわる短編歌物語集であるの『伊勢物語』には、五七五七七の最初の文字を並べると「かきつはた」になる下記の一首を詠んでいます。
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
古くから、、燕子花が日本人の美意識や情感に非常にうまくマッチしていたと言え、さまざまなデザインの題材にも用いられてきました。
美術品としては、平安時代後期の作品で、国宝の「澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃」には、燕子花やオモダカの咲く水辺に千鳥の群れ集う様子が描かれています。
安土桃山時代になると、狩野山楽(1559年~1635年)や長谷川等伯(1539年〜1610年)などの時代を代表するような絵師にも燕子花が描かれます。
江戸時代には、風神雷神図で有名な俵屋宗達、尾形乾山(1663年〜1743年)、尾形光琳(1658年〜1716年)、渡辺始興(1683~1755)などの絵師によって、燕子花が描かれた名作が次々と生まれました。
尾形光琳の作品で国宝の「燕子花図」は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品としても知られます。
染織模様においても、安土桃山時代から数多くの能衣装や小袖のモチーフとなっており、数多くの燕子花やアヤメの模様が作られています。
【参考文献】『月刊染織α1985年No.55』