革染めで有名なものに、燻革というものがあります。
燻革とは、燻という言葉にあるように煙を利用して染められた革のことです。
人類史上、けものの皮の保存方法として原始的に最初に気づいた手段は、煙で燻す「煙なめし」であったとされています。
煙で染色できるという点も、その関連で必然的に発見されたのでしょう。
目次
燻革(ふすべがわ)の染色方法
皮なめしした後の革に、模様染めのために煙を使用したものが燻革となります。
北国では、動物の身体から剥がした皮の乾燥を早めるために火を炊くことがありましたが、煙の中に含まれるフォルマリンによって、皮の組織のタンパク質を凝固させ、腐敗を防ぐ効果もありました。
もちろん、なめしの主な目的である脂肪をとり、皮を柔らかくする効果はなく、煙で乾かした皮は硬いため、使用する際はぬるま湯につけたり揉みほぐしたりし、柔らかくする必要があります。
このフォルマリンなめしと呼ばれる原始的な技法は、厳密にはなめしの技法には入りませんが、この工程によって、煙が皮を着色するということには当時の人々は気づいていたことでしょう。
煙を利用する染色法は、捺染のように染める対象物の上からプリントしたり、刷毛で染めることはできません。
糊や型紙、糸を巻きつけたりする絞りなどを利用して防染し、下から上に昇っていく煙に当てて、模様を出していくのです。
革は水洗いをすると硬くなるので、防染糊は、水洗いしないで仕上げができる一陳糊(小麦粉、米ぬか、消石灰などを混ぜて、ふのり液を加えて練ったもの)を使用します。
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煙で染める色合い
稲藁の煙を使用すると、赤と黄色の中間色である燈色から茶色になり、松葉や松根の煙では、鼠色のように染まります。
稲藁と松根を併用すると、鶯色(灰色がかった黄緑色)や茶色系統になります。
さらに藁を重ねていくと、濃い茶色(焦茶色)となっていきます。
燻革の歴史
日本における最古の燻革として、東大寺の「葡萄唐草文染韋」があります。
奈良時代に作られたものですが、松葉の煙によるものだと推定されています。
伝統的な燻革については、江戸時代後期に刊行された「貞丈雑記」によると、二、三種類の木々の混合と燻す時間の調節によって、だいだい色から茶褐色、灰色などの濃淡や微妙な色合いを染め分けていたようです。
燻革の用途も、鼻緒や革羽織りのみならず、腹巻や足袋、袋物などさまざまな形で生かされていたのです。
ルイス・フロイスの『大航海時代叢書 日欧文化比較(岡田章雄訳)』では、「われわれの毛皮は染料で着色する。日本人はただ藁の煙だけを用いてきわめて巧みに着色する」と述べられています。
ルイス・フロイスは、1532年生まれのポルトガル人で、キリスト教カトリック教会のイエズス会に所属する宣教師で、1563年31歳の時に日本にしました。
数多くの当時の記録を残した彼の目にも、日本の燻革は新鮮に映ったことでしょう。
染色となめし
一般的に、なめしていない状態を「皮」と呼び、なめしたものを「革」と呼んで区別しています。
動物の身体から剥がした皮は、そのままでは腐りやすく、乾燥させるとカチカチに硬くなり柔軟性がなくなるため、鞣すという工程が必要です。
なめす方法には、タンニンなめしやクロムなめし、ミョウバンなめし、明礬なめし、油なめし、煙なめしなど様々あります。
鞣すという漢字にあるように、なめすことでなめらかで柔らかく、耐久性のある革に実用的な革へと変身するのです。
また、皮なめしの処理によって、革を染色する際の発色具合に大きく違いが出てくるのです。
油なめしでは、植物油を使用するので、白檀なめしとも呼ばれ、革は白くしなやかで美しくなりますが、革にコーティングされた油が残っていることがあるため、鮮やかな色は発色せず、クロムなめしの場合、色が濁ります。
もっとも燻革で良いとされたのは、牛の脳漿を用いた脳漿なめしで、鮮やかな色が得られるということで古くは使用されていましたが、現在は使用されていません。
山梨県、甲府の印伝(いんでん)
山梨県の甲府では、古くから燻革を染めていましたが、胴と呼ばれる約2メートルにも及ぶ筒型の樽に革を巻きつけて紐で止め、胴の中央に鉄棒を通して、胴をゆっくり回転させながら煙をしたから上げて染めていきます。
この染め方は、印伝と呼んだりします。
山梨県甲府市に本社がある株式会社印傳屋上原勇七では、今でも鹿革を筒に巻きつけて燻革をつくる技法を守っています。
素晴らしい映像があり、下記に載せておきますので、ぜひ見てみてください。
【参考文献】
- 岡村吉右衛門著『世界の染物』
- 『月刊染織α1981年創刊号』