黄櫨、黄櫨染と呼ばれる色彩があります。
平安時代以降、日本の天皇が儀式のときに着用する袍の色と決められ、「絶対禁色」として天皇以外は着ることが許されない色とされてきました。
天皇の色彩、黄櫨(こうろ)、黄櫨染(こうろぜん)
この色は、一見すると茶色に見えますが、日光によって赤褐色になったり、光の当たり方によっては赤色に輝くという特徴があります。
染めるのはむずかしく、櫨でしっかりと染めてから蘇芳でさらに染めます。
櫨の染まり具合が不十分だと、蘇芳と混じって普通の茶色になってしまいます。
黄櫨の染めに多少の色の差が出てくる理由としては、原料となる黄櫨は樹齢や産地によって違いがあるのはもちろんのこと、媒染で使っていた灰汁によっても多少の違いが出てきます。
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黄櫨は、平安時代の初期、弘仁6年(815年)に現れた服色の名前で、弘仁11年(820年)に天子の服色となりました。
皇太子の色彩、黄丹(おうに)
支子と紅花で染めた黄丹は、赤味を帯びたオレンジ色といった色合いです。
黄丹は、中国から来た黄丹という絵具の色からきた色名です。
黄丹も黄櫨と同様に禁色とされ、当初は皇族全般の色彩でしたが、奈良以降から皇太子の色彩となりました。
朱華という色も黄丹と同様の色彩を持っていますが、こちらも平安時代には禁色の一つでした。
古代の色彩の特徴
黄櫨や黄丹のような美しい色彩が禁色であったように、「王朝の色」とも呼ばれている平安時代の優雅な色彩は、もっぱら貴族や宮廷用であり、一般庶民にはまったくの無縁でした。
一般に色彩が解放されたのは、鎌倉時代以降であるとされています。
日本古代の色彩の特徴としては、人々は、草木が成長し花が咲き果実が実るのは、草木に宿る精霊(木霊)の力であると信じ、木霊に祈りながら草木からとれる自然の色で、衣服を染めつけていました。
強い精霊の宿るとされる草木は薬用として使用され、薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によって引きおこされた病状や苦痛を人体から取り除き、悪霊をしりぞける作用があると考えられていたのです。
古代の色彩と染色法の研究者である前田雨城氏の著書、『日本古代の色彩と染』には、古代の人々の染色について、以下のように書かれています。
強い木霊の宿る草木は、薬用として使用された。薬草に宿る霊能が、病気という悪霊によってひきおこされた病状や苦痛を人体からとりのぞき、悪霊をしりぞける作用があるとされたのである。当時の衣類などの繊維品は、その色彩を得るための草木を、いずれも薬草から選んでいるのは、この理由によるのである。
なお、色彩起源説としては、恋愛色、種族区別色、戦闘色、その他各説が存在している。それぞれ根拠を持った説であるが、古代日本の色彩起源として、現存している色彩から考察する時、やはり薬用植物色と考えるのがもっとも妥当といえる。
こうした色彩感覚(思想)も、平安時代に入ると、時代の流れとともに、各種の要素が加わり、次第に変化している。とはいえ、この日本古代の色彩思想はその後も永い間、日本民族の心の底に根強く残り、受けつがれてきているのである。
色彩は美のためではなく、第一義的には木霊への祈りと自分を守るために薬用効果を求めたのです。
古代の人々の色彩感覚や色彩に対する思想について学ぶと、新たな発見がたくさんあります。
【参考文献】『日本古代の色彩と染』