小紋は、もともと室町時代の武士の衣類である裃の家紋を染めることから始まったとされています。
小紋で染められた家紋は家を象徴するものとなり、将軍や大名は各自専用の小紋を定め、それを「留柄」や「定め小紋」などと称し、他人の使用を禁止しました。
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小紋における留柄(とめがら)・定め小紋
江戸時代、将軍や大名は裃に表現される小紋に各自の好きな柄を選び、「留柄」として他が使用することを禁じていました。
留柄の例としては、以下のようなものがあります。
松葉(まつば)

錐彫りで松葉文が彫られた伊勢型紙
松葉文は、細くて繊細な松葉を文様化したものです。
江戸時代には細かい松葉の模様を散らした「松葉小紋」が徳川綱吉(1646年〜1709年)の定め小紋(留柄)となっていました。
徳川綱吉所用と伝わる「長裃 鶸色麻地松葉小紋 三つ葉葵紋付」には、細かな松葉が型染めで表現されています。
関連記事:デザインにおける松・松文(まつもん)。松毬文、松皮菱文、松葉文、老松文、若松文について
鮫小紋(さめこもん)

江戸小紋三役の一つである鮫(さめ)小紋
紀州藩の徳川家のは、鮫の皮をイメージさせる鮫小紋(極鮫小紋)を留柄に用いられていたことで知られています。
関連記事:江戸小紋の三役と五役。鮫・角通し・行儀・大小霰・万筋について
御召十(おめしじゅう)

徳川将軍家の留柄「御召十(おめしじゅう)」
「御召」とは、緯糸(よこいと)に強撚糸を用いて、生地に「シボ」と呼ばれる「シワ」をたたせた布地を本来意味します。
糸の段階で色を染める先染めの生地である点が「御召」の特徴で、「御召」という名称の由来は、徳川11代将軍の徳川家斉が、この生地を好み、家斉だけが着用する留柄を作って御召料として献上させたことに由来するといわれています。
御召十は、徳川家で使用されていた留柄として知られています。
菊菱(きくびし)
菊を菱形にかたどった菊菱は、加賀前田家の裃の柄に用いられていた留柄です。
鍋島小紋(なべしまこもん)
佐賀藩では胡麻殻の断面と七曜を組み合わせた柄を留柄として用い、「鍋島小紋」と呼ばれていました。
梅鉢(うめばち)

肥後藩主の細川家で使用された留柄である梅鉢(うめばち)
肥後藩主であった細川家は九曜の家紋で知られますが、留柄として、裃に梅鉢紋が用いられていたとされます。
大小霰(だいしょうあられ)

江戸小紋の五役の一つとされる大小霰(だいしょうあられ)
薩摩藩主の島津家では、大小霰が留柄として用いられていたようです。
大小霰は、大小の霰が空から舞い落ち、飛び跳ねているような様を表現しています。
霰小紋(あられこもん)
広島藩の藩主であった浅野家の留柄には、霰小紋が用いられていました。