薬玉は、古くはさまざまな香料を袋にいれ、飾りをつけて五色の糸を垂らし、主に5月5日の「端午の節句」における魔除けとして、柱や几帳、御簾などにかけられました。
日本には、中国から伝わり、『続日本後記』(849年)の5月5日の項に「薬玉」とあるのが最初の記載とされます。
平安時代、宮中では5月5日に薬玉をかけられ、9月9日の「重陽の節句」まで掛けられ、「茱萸袋」と取り替えるという風習がありました。
中国の風俗では、薬玉は「命縷」や「長命縷」、「五色縷」などと呼ばれていました。
デザインにおける薬玉文(くすだまもん)
薬玉は、造花などでも作られるようになり、華やかなものが模様(文様)としても活用されてきました。
薬玉文として、若い女性や女児の晴れ着などによく用いられたようです。
江戸時代(18世紀)に製作された「打掛 紅綸子地御簾薬玉桜模様」には、鶴の吉祥模様を地紋に織り出した綸子地に、刺繍で薬玉と御簾が表現されています。