ヨーロッパにおいて、非常に多く文学や美術に使用されてきた花にユリ(百合)があります。
ユリの花がさまざまな創作物のモチーフに使われていた歴史は古く、古代ミノア文明(Minoan civilization)が栄えたクレタ島では、紀元前1600年頃の壺や壁画に描かれています。
ユリの花とクジャクの羽で作った冠をかぶった「百合の王子(Prince of the Lilies)」と呼ばれる壁画があります。
また、サントリーニ島では春を告げる燕と共に、自生のユリが描かれてる壁画もあります。
ヨーロッパのデザインにおけるユリ(百合)
ユリは、キリスト教においては、特別な意味を持つもので、清純、純潔、完璧な信仰を表すシンボルとして数多くのキリスト教美術に登場しています。
マドンナリリー(Madonna lily)と言われる品種は、聖母マリアの象徴として、数多くの聖母子像やキリスト教の聖典である『新約聖書』に書かれているエピソードの1つである<「ruby>受胎告知じゅたいこくち」の絵の中に登場しています。
例えば、マルコ・ゾッポ(1433年〜1478年)によって描かれた「Virgin Mary with lily flowers」には、聖母マリアがユリを持っているのがわかります。
「受胎告知」の絵は、14世紀から15世紀に一番描かれたようですが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」が有名ですが、その他にも多くの著名な画家が「受胎告知」を描いています。
「受胎告知」の絵の多くにマドンナリリーが描かれ、やはり百合の花が、聖母マリアの純潔や清浄を表すシンボルとして表現されています。
キリスト教の世界の花であった百合は、フランスの王の象徴で、ユリの花の紋章(フルール・ド・リス)としても知られています。
フルール・ド・リスは、10世紀のフランスの王の冠に飾り付けられたり、ルイ6世(1108年〜1137年)以降、ユリの花の紋章をシンボルとして用いたとされ、正式にフランス王の紋章としたのがルイ8世(1223年〜1226年)でした。
それ以降、17世紀〜18世紀を通じて、ルイ王朝の装飾品などにしばしばユリの花の紋章を見ることができます。
ユリが一般的なデザインのモチーフに
ユリが一般的な模様のモチーフになるのは、19世紀後半になってからのことです。
17世紀〜18世紀の染織においては、ユリはバラにその地位を譲りますが、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動であるアール・ヌーボー期(Art nouveau)になり、再びその姿を表します。
19世紀末、フランスを中心とした虚無的で退廃的、病的な唯美性を特徴とするデカダンス的な傾向の時代には、ユリや睡蓮、ぶどうの蔓などの植物が好んで時代の芸術家に使用されました。
イギリスの芸術家であるウォルター・クレイン(1845年〜1915年)が製作した、「百合とバラ」と題するプリント作品や「花の饗宴(Flora’s feast)」と題する挿絵などにもユリは登場します。
「花の饗宴」には、ユリの花が虎に変身するところが流動的な線描表現で描かれており、世紀末作家の病的な幻想趣味が見事に表現されています。
日本のデザインにおけるユリ(百合)
ユリ(百合)は、日本においても古くから観賞用の花として愛されてきましたが、美術や工芸のデザインのモチーフにもなってきました。
室町時代末期の「浜松図屏風」には、松原の下草にキキョウやリンドウ、ナデシコなどと共にユリらしいものが表現されています。
江戸時代には、尾形乾山(1663年〜1743年)の絵画にユリが描かれた作品など、襖絵や屏風絵などにも多く描かれています。
染織模様としては、安土桃山時代の「縫箔茶地百合御所車模様」の能衣装は、茶地に御所車と大柄のユリの花が見事に描かれています。
江戸時代中期から後期にかけても友禅染の小袖にユリが描かれたりと、染織模様のモチーフとして親しまれてきました。
【参考文献】
- 塚本洋太郎(著)『花の美術と歴史』
- 『月刊染織α1985年8月No.53』