中国からの影響を受け、日本において金銭の形をそのまま模様化(文様化)され、金銭文としてデザインに用いられてきました。
デザインにおける金銭文(きんせんもん)
紋章としては、中国の宋代(960年〜1279年)に鋳造された「政和通宝」による「政和銭紋」、明代の永楽9年(1411年)から鋳造され始めた「永楽通宝」による「永楽銭紋」、清の時代(1661年~1722年)に鋳造された「康熙通宝」による「康熙銭紋」などが活用されていました。
日本の通貨としては、日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨である「寛永通宝」による「寛永銭紋」や幕末に流通した銭貨である「文久永宝」による「文久銭紋」などがあります。
江戸時代には、刀の鍔の模様にしたり、浴衣などに型染の柄(型染文)などにも金銭文が活用されていました。
永楽銭(えいらくせん)
中国、明代の第3代皇帝である永楽帝が在位していた期間である永楽年間(1403年〜1424年)に鋳造されたはじめた銅製銭貨である永楽通宝は、日本では室町時代に日明貿易や倭寇(朝鮮および中国大陸沿岸に出没した海賊)によって大量に輸入され、江戸時代初期まで一般通貨として流通していました。
永楽通宝は、「永楽銭」や「永銭」などと呼ばれていました。
寛永13年(1636年)、徳川幕府は寛永通宝(日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨で幕末まで作られた)を鋳造しはじめ、寛文年間以降全国的に流通し始めると、それまで流通していた永楽通宝(永楽銭)や渡来銭などの旧銭は次第に駆逐されていきました。
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