燕子花は、アヤメ科の植物で池や沼、湿地に自生しています。
日本においても親しまれており、7世紀後半から8世紀後半にかけて編集された、現存する日本最古の歌集である『万葉集』には、燕子花が詠われています。
平安時代の歌人である在原業平思わせる男を主人公とした和歌にまつわる短編歌物語集である『伊勢物語』には、五七五七七の最初の文字を並べると「かきつはた」になる下記の一首を詠んでいます。
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
古くから燕子花が日本人の美意識や情感に非常にうまくマッチしていたと言え、さまざまなデザインの題材にも用いられてきました。
デザインにおける燕子花(かきつばた)
燕子花は早くから絵画や模様(文様)の題材とされ、美術品としては、平安時代後期の作品で、国宝の「澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃」には、燕子花やオモダカの咲く水辺に千鳥の群れ集う様子が描かれています。
16世紀の室町時代頃に作られた小袖である「白練緯地花鳥模様辻が花染(しろねりぬきじかちょうもようつじがはなぞめ)」には、描絵で燕子花や菊などの草花とともに、鴛鴦やウズラなどの鳥が赤系統の彩色で描かれています。
安土桃山時代になると、狩野山楽(1559年~1635年)や長谷川等伯(1539年〜1610年)などの時代を代表するような絵師にも燕子花が描かれます。
江戸時代には、風神雷神図で有名な俵屋宗達、尾形乾山(1663年〜1743年)、尾形光琳(1658年〜1716年)、渡辺始興(1683~1755)などの絵師によって、燕子花が描かれた名作が次々と生まれました。
尾形光琳の作品で国宝の「燕子花図」は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品としても知られます。
染織模様においても、安土桃山時代から数多くの能衣装や小袖のモチーフとなっており、数多くの燕子花やアヤメの模様が作られています。
燕子花は沖縄の紅型染の題材にも用いられ、紋章にも多くの種類があります。