古く中国では、青(藍)、赤(朱)、黄、白、黒(玄)の五つの色を「五色」としていました。
五色は、正色とされ、その中間の色は「間色」と呼ばれていました。
孔子が、『論語』の中で、朱色(赤)に代わって紫色が喜ばれたことを嘆いていますが、これも正色から外れた色だからとも考えられます。
中国の正色であった五色(ごしき)
古代中国において一年を四季に分けて、春(青)、夏(朱)、秋(白)、冬(玄)としていましたが、時間が経つにつれ、五行説にしたがって黄色を中央に入れることになります。
つまり、夏を二つに分けて一年を五季として、春は青、夏の前半は朱、夏の後半は黄、秋は白、冬は黒(玄)の五つの色によって表すことにしたというわけです。
五色は、後世になると紫色を黒の代わりにしたり、緑色を青の代用としたり、紅や蘇芳の赤を朱に代用したりと、時代によってさまざま変わっていたようです。
正しくない色、間色(かんじき)
現代における間色(かんしょく)という言葉は、ある色と他の色が混じった、その二色の間の色という意味ですが、古くは中国では間色(かんじき)言われたのがあり、間色は正しくない色であり、聖人君主は用いる色ではないとしていました。
つまり、正色たる青、朱、黄、白、白、黒(玄)の五色に対して、正しくない色、すなわち緑(りょく)、紅(こう)、緇(し)、碧(へき)、紫(し)の五つでした。
この中の、紅(こう)は、朱や茜染の緋色を淡くした桃色のような色であり、緇は黒茶色、碧(へき)は青白色を表しています。