振袖とは広い意味で、身頃(体の前面と背面を覆う部分)と袖の縫い付け部分を短くして、「振り」(袖つけより下の袖の部分)を作った袖のこと、もしくは「振り」をもち小袖形の衣類全般を指します。
振袖の”ようなもの”は、室町時代(1336年〜1573年)から安土桃山時代(1573年〜1603年)にかけて、当時の文献や肖像画からみてとれます。
着用しているのは、もっぱら子供や若い女性ですが、当時はまだ「振袖」とは呼ばれず、袖も現在のように長くはありませんでした。
機能面では袖の下の一部分を解くことで、空気が通りやすくして暑さを逃がすという実用的な面もありました。
なぜ振袖は、袖が長くなったのか?
振袖は装飾が美しいというイメージはあると思いますが、歴史的にその際立った染織美を発揮するようになったのは、袖丈が伸びていく過程とほぼ一致しているとされています。
機能的な面から言えば、袖が長くなることでプラスになる面は多くなく、顔を隠しやすくなることはあっても、動きやすくなるという点は考えにくいです。
振袖が誕生した理由として、機能面からの変化が主な原因ではないと考えると、やはり装飾的な要素として袖が長くなっていったと考えられます。
江戸時代中期と後期には、長くなった振袖の様子が浮世絵からも伺えますので、この頃には装飾的な機能がもっとも大事とされる価値となっていたのです。
菱川師宣の17世紀の代表作「見返り美人図」の女性は、振袖を着ています。
振袖の装飾技法
現存している歴史的価値のある振袖の資料は、いずれも若年の女性が用いたもので、さまざまな技法による装飾がみられます。
振袖に用いられた技法のなかには描絵や刺繍がありますが、特に特徴的なのは匹田鹿の子絞りという絞りの技法です。
江戸時代後期の振袖には、絵画のような事実をありのままうつし出そうする写実的表現がたびたび見られます。
その中でも匹田鹿の子絞りを駆使して、さまざまな模様を表したものがみられました。
庶民が着用するのはむずかしく、多くは裕福な都心部に住んでいる町人の娘が着たと推定されます。
鹿の子絞りは、つぶのような細かい模様が特徴的ですが、絞った部分(つぶつぶの部分)が模様として表現する場合と、絞らない部分で模様を表すものの2パターンあります。
不向きとも言えるような絞り染めの技法で、柄を表現していたというのは驚きです。
振袖の模様
振袖は、婚礼のために仕立てられることが多かったため、その模様はおめでたいとされるものが圧倒的に多いです。
縁起がいいとされる動植物や物品などを描いた図柄を、吉祥文様と言います。
松竹梅・桜・鶴亀・桐・貝桶・鳳凰など、中国に起源を持つ模様(文様)が日本で定着しました。
吉祥とは、めでたいこと、縁起のよいことを意味する言葉です。
中国では吉祥を強く意味するものではなかった松竹梅模様は、日本では代表的な吉祥文様になっています。
江戸時代の後期には、御簾(すだれ)や几帳(間仕切りの一種)・檜扇(宮中で用いられた木製の扇)など、平安時代を連想させるモチーフもめでたい意味で用いられるようになってきました。
この背景には、平安時代の宮廷生活は、当時の人々にとっては理想の生活であり、古き良き時代に映っていたからではないかと考えられて言います。
【参考文献】『振袖 (京都書院美術双書―日本の染織)』