水仙(学名Narcissus)は、ヨーロッパでは古くから親しまれてきた花です。
日本における水仙も、元々は地中海沿岸やヨーロッパに自生していたものが、シルクロードを通り、中国から日本にもたらされたとも言われます。
ヨーロッパのデザインにおける水仙(すいせん)
西洋で生まれた水仙は、ナルシス神話から生まれた花として、自己内省や自己愛、狂気や復讐などのイメージが持たれ、水仙の持つ美しさが自己陶酔のようなイメージを与えたとも考えられます。
ヨーロッパにおける水仙の歴史は古く、ギリシャのサントリーニ島で発見された紀元前1500年頃の壁画に、ユリの花と共に、ラッパすいせん(学名Narcissus pseudonarcissus)が描かれています。
ユリ、サフランなどと共に、水仙は最も古い花の一つとしてヨーロッパでは長く愛されてきたのです。
16世紀、ヨーロッパのフランドル地方で栄えた美術の流派である「フランドル派」の画家たちは、数多くの生花を描き、「花の画家」と呼ばれました。
彼らの作品に登場する花には、様々な花に混じって水仙が描かれ、「花の画家」にとっては、必要不可欠なデザインのモチーフだったと考えられます。
ヤンプリューゲル(Jan Brueghel de Oude)の『花』には、バラ、チューリップ、ユリ、アイリス、カーネーションに混じって房咲き水仙、黄水仙が描かれています。
15世紀〜16世紀に発達したヨーロッパ産のタペストリーには、当時の庭園や野原に咲いていた草花が数多く織り込まれており、その中にも水仙の姿を見ることができます。
ヨーロッパ・タペストリーの傑作とも言われる、『貴婦人と一角獣』にも、あやめ、バラ、桜草、すみれ、カーネーション、百合などに混じって黄水仙やラッパすいせんが描かれています。
19世紀後半のイギリスの代表的な工芸作家であるウィリアム・モリス(William Morris)は、数々の優れたウォールペーパー(壁紙)を制作しましたが、その作品の中に『daffodil』(ラッパすいせん)があり、つる模様の中に、ラッパ水仙が、チューリップや忘れな草などと共に描かれています。
同じウィリアム・モリスの作品『bluebell』にも、水仙のような花が、他の多くの花と共に描かれています。
19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動であるアール・ヌーボー期(Art nouveau)のガラス工芸作家エミール・ガレ(1846年〜1904年)の作品にも、水仙をモチーフにした作品があります。
日本のデザインにおける水仙
日本において、水仙は瑞兆の花として、清楚なたたずまいが、多くの人々に愛され、親しまれてきました。
水仙は、平安時代には海外から移入されていたのではないか考えられています。
12世紀後半の藤原良経(1169年〜1206年)の色紙に水仙が描かれていたようです。
水仙は、12月から3月ごろに花が咲くので、古くから新春を象徴する瑞兆(良い事が起こる前兆)の花とされ、特に生け花の材料として使用されています。
また、「水仙」と漢字で書くことから、「仙界の花」として、吉兆を表す花とされています。
室町時代から黒絵や花器などに描かれていますが、江戸時代になると染織や金工、織物などに多く見受けられるようになります。
例えば、徳川幕府三代将軍、徳川秀忠(1579年〜1632年)の二女の珠姫が、1601年に加賀藩三代藩主、前田利常の妻として前田家に輿入れ(嫁ぐ)する際に携えてきた小袖「白紋繻子地水仙唐花丸紋模様繍小袖」には、水仙の模様が描かれています。
【参考文献】『月刊染織α1985年No.54』