本書は、古代の人々の心の遺産とも言うべき日本民族本来の、色彩と染を研究し、現在の多くの人々に、古代から伝承されて来た色彩の実態についての理解を得ようとするために執筆したものである。
前田雨城氏の著書、『日本古代の色彩と染』のまえがきには、上記の言葉があります。
この本は、なかなか安く出回っていないのですが、前田氏の集めてきた知識と実際の経験からの得た色について学べ、日本の古代における染色やその歴史について興味のある方にとっては読む価値が十二分にある本と言えます。
前田氏は、高倉家染頭32代目、紅師と呼ばれていた二村紅華氏に師事し、染頭の33代目を継ぐことになりました。
入門してから3年ほど経った後、鎌倉時代より代々伝えられてきた門外不出の『染色の口伝』なる巻物を譲り受けます。
『日本古代の色彩と染』には、前田氏が受けた『口伝』の主要部分が公開されています。
染色や草木染めをやる上で、非常に大事な心構えが詰まっているので、以下原文を引用してから、解説します。
染色に興味がある人にとっては、一読する価値があります。
『染色の口伝』
『染色の口伝』(原文)
一、良い染色は五行の内にあり。
木の章 草木は自然により創造された人間と同じ生物也。愛をもって取扱い、木霊への祈りの中で染の業に専心すべし。
火の章 火には誠せよ。誠無くば必ず害あり。心して火の霊を祭るべし。
土の章 土より凡て生る。土悪ければ色悪し。清気ある土をよしとする。
金の章 金気は大敵也。金気無ければ止らずと云えども、善悪あるを知るべし。
水の章 一に水。二に水。三根気。水は素直にして、根気は能力に祈りを加えること也。
一、自然の心を心とし、仕事あるを喜び、染色の出来ることに感謝すべし。
一、染色の第一として、先ず心に〆縄をはること。処自ら浄まりて業必ず極まる。
一、染液は、水に入れて待つ。一体となれば火を入れ、境がとれれば保つ、治れば分ける。大方之也。
一、染付は、同じくなれば終り也。濃色を得んとせば重ねる。重ね色を望めば、交える。大方之也。
以上にて染付たる染色、必ず人の心うつものなり。染色に木霊と祈りが存する故なり。邪なる心、出たる時は、色、必ず乱る。悪霊のため也。思いあたる時は、その心去るまで祈るべし。なお織布には、数々の念もちたるにより、清き流れにて旬日(十日間)晒してより染付すること肝要也。
『染色の口伝』解説
(原文) 一、良い染色は五行の内にあり。
(解説)本来の染色を得んとする者は、五行の訓に従って、その業をすること。
五行の訓とは、木、火、土、金、水のことを言います。
(原文)木の章 草木は自然により創造された人間と同じ生物也。愛をもって取扱い、木霊への祈りの中で染の業に専心すべし。
(解説)草木は人間と同じく自然により創り出された生き物である。
染料になる草木は自分の生命を人間のために捧げ、色彩となって人間を悪霊より守ってくれるのであるから、愛をもって取扱うのは勿論のこと、感謝と木霊への祈りをもって、染の業に専心すること。
(原文)火の章 火には誠せよ。誠無くば必ず害あり。心して火の霊を祭るべし。
(解説)火には誠せよ。誠なく火に接すれば、必ず害をうける。
火の霊は良き霊であるが、それに接する人の心によっては、悪霊にもなる事を知れ。常に心して火の霊を祭ること。
(原文)土の章 土より凡て生る。土悪ければ色悪し。清気ある土をよしとする。
(解説)土より凡て生れる。土悪ければ、その地の草木悪し、草木悪ければ染色悪し。
大地に念じ良き土を選ぶべし。総じて清気溢れたる土に生える草木をよしとする。
(原文)金の章 金気は大敵也。金気無ければ止らずと云えども、善悪あるを知るべし。
(解説)金気(鉄気)は美しい色の大敵也。
金気(鉱物質ならん)なければ色彩固まらずと言えども、金気にも善悪あるを知るべし。
霊に良き霊と悪しき霊のある如し。一見して善しと見るは注意せよ。
媒染の金気は大事だけれど、しっかりと注意が必要ということです。
(原文)水の章 一に水。二に水。三根気。水は素直にして、根気は能力に祈りを加えること也。
(解説)一に水、二に水、三に根気、と言う。
一の水は量を表し、二の水は質を表す。まず大量の水を必要とし、染色に適するは、治まった水にして素直なる水であること。素直なる水とは草木に生命を与え得る水のである。
三の根気とは、仕事を与えられた喜び、その喜びに祈りの心を添えて与えられた仕事に自己の力の凡てを、捧げることを言う。
(原文)一、自然の心を心とし、仕事あるを喜び、染色の出来ることに感謝すべし。
(解説)自然の心の中に神聖偉大な万能の神を見出し、自然の風物に霊の存在を信じ、それを祈りの対象としていた日本古代民族思想は、色彩の中にも草木の霊である木霊があると見ていました。
自然の恩恵のなかで、古くから行われてきた「祈りの色彩」を生み出す機会を喜び、草木の生命の再現としての色彩を自分の手で作り出すことを木霊に感謝するように、というような意味です。
安定した生活・健康・精神面があるから、「祈りの色彩」を行うことができるという感謝の祈りを教えています。
(原文)一、染色の第一として、先ず心に〆縄をはること。処自ら浄まりて業必ず極まる。
(解説)色を染めるときは、まず心を整える必要があります。
作業が確実に行えるように、普段から周囲を美しくしていれば、不備な点にも気づくことができます。他人の指示に頼らず、自分の心で仕事場を美しくできるようになると、染色の出来あがりも自然に最高のものになる。
「形から出た心ではなく、心からでた形こそ真の心の結晶である」と、前田雨城氏は解説しています。
(原文)一、染液は、水に入れて待つ。一体となれば火を入れ、境がとれれば保つ、治れば分ける。大方之也。
(解説)染液をつくるためには、染料植物を水のなかにいれて、5、6時間から10数日待つと、染料と水が一体となり、それから火で熱をいれます。
ある一定の温度で染料と湯の間に境がなくなる時が適温であるから、その温度を3時間から5日間保つことで、染料と液が治ってくるのです。(馴染む)
藍、紅花、茜、紫根を除く他大部分は、これが染液になります。
(原文)一、染付は、同じくなれば終り也。濃色を得んとせば重ねる。重ね色を望めば、交える。大方之也。
(解説)染液の中に布を浸して、何時間か染付の作業をしていると、染液と布が同じように見えるようにタイミングがあります。
この時が染付が終わったと言えるときで、濃い色を目指す場合はさらに色を重ねていきます。
(原文)以上にて染付たる染色、必ず人の心うつものなり。染色に木霊と祈りが存する故なり。邪なる心、出たる時は、色、必ず乱る。悪霊のため也。思いあたる時は、その心去るまで祈るべし。なお織布には、数々の念もちたるにより、清き流れにて旬日(十日間)晒してより染付すること肝要也。
(解説)口伝のように、自然の心を心として、古来の色彩をつくり出すために心身と整えてから染めを行うと、人々の心を打つような色を出すことができる。色彩が乱れる時は、集中して染色に取り組めていない時である。
人の手によって織られた織布には、さまざまな念がこもっていると考えられ、太陽と清い流れに晒して生地を精錬することが大事であるといっています。染める前の精錬が大事であるというのは、現代にももちろん通じるところです。
『染色の口伝』を読んでみると、そこには小手先のテクニックではなく、すべて基本的なことが書かれているのがわかります。
ただ、この物事に対する姿勢や構えを持つことが、非常に難しいことであり、日々鍛錬していかなくてはいけない部分です。
大切なことは、複雑でわかりづらいことではなく、常にシンプルなものであるというのは、どの分野においても同じなのかもしれません。
【参考文献】前田雨城(著)『日本古代の色彩と染』