絣(かすり)の歴史。日本の庶民に愛された絣文様


江戸時代後期から明治、大正、昭和の時代にかけて、庶民の間でとりわけ親しまれたものに絣があります。

絣とは、経糸か緯糸のどちらか、あるいは経糸と緯糸の一定部分を、糸や布などで括ったり木の板で挟むことによって防染して染めた糸を使用し、織り文様を表現したものです。

織物の組織としては、絣は平織りと繻子織りしゅすおりにみられます。

絣の歴史

日本における絣の技法は、非常に古くから行われていたようにも思えますが、江戸時代後期からと意外にも比較的新しい部類になる文様表現の技法です。

糸を括って防染する染織技法は、平安時代から公家社会においては、いくつにも段に(段だらに)染めわけた糸(白や赤、紫、紺、青など)を使用して組んだり編んだした、いわゆる「だん」と呼ばれる配色名がありました。

だんは、太刀たちの平緒や馬の手綱たづなに使う織物や、組紐などに活用されていましたが、あくまで色糸を混ぜて地色に変化を求めたものであったため、文様をつける意味での絣の範疇には入っていないでしょう。

緂という技法が行われていたのにもかかわらず、防染で染め柄を工夫した糸を使用して、織りの段階で文様をつけるという絣が江戸時代中頃まで登場しなかったのは、日本の服装や様式に調和しにくかったという点も考えられます。

安土桃山時代の嶋織物の着物地(小袖)の中には、縦縞と色の無地部分を交互に織り出したものがあり、絣による表現に近づいた織物といえますが、文様というよりは、地文様的に扱われているところにとどまっています。

文献に登場する絣

絣という語は、1603年に編纂されたポルトガル語による「日葡辞書」にcasuriの項目があり、「日本の着物に施す染色法の一種で、雲のような模様の描き方をするもの」とありますので、このころには、すでにこの技法が知られていたことがわかります。

江戸時代後期、喜多川守貞が1837年から30年間かけて書き上げた『近世風俗史』は、時勢、生業、貨幣、男服、女服、音曲、遊戯、食類などの近世の風俗を語る文献となっていますが、そのなかには絣の記載もあります。

巻之一九織染の項目に「カスリ、字未如奈ル字ヲ用フル乎、帷ノ字等ヲ書ト雖ドモ未慥カタラズ」とあるのです。

つまり、「絣はどのような字を使うは未だにわからず、とばりの字などを書くと言えども未だ確かではない」としています。

海外からの織物に影響を受け、日本でも絣が一般化

江戸時代中期以後、武家の礼服である大紋、素襖、裃などの下に着た熨斗目のしめ小袖においては、腰の部分のみを縦縞として、それに横縞を加えた格子の腰明こしあきは、絣文様にあと一歩というところまで来た先駆的表現ともいえそうです。

日本における絣の発達は、庶民からではなく、絹織物を着用することができた武家の人々が絣文様の面白さを評価したところから始まったと推測されます。

その後、インド西北部から世界中に伝わっていき、東南アジアの中でもインドネシアやフィリピンを経て日本にやってきた嶋織物の影響を受け、庶民の間で木綿や麻の絣が作られ始めて一般化したと考えられます。

日本における絣の発達は、薩摩(鹿児島)、久留米(福岡)、伊予(愛知)、弓ヶ浜(島根)、倉吉(島根)、能登(石川)、越後(新潟)などで特色のある絣が作られるようになりました。

藍染と絣

木綿の絣は、ほとんどが藍染によって染められた紺色の地でしたが、それには理由があります。

江戸時代以前、木綿が海外からやってきて広がっていくまでは、日本において苧麻からむしを原料にした布が一般的に生産されていましたが、戦国時代から江戸初期にかけて、栽培の手間のかからなさや経済性の高さによって、木綿が爆発的な普及したとされます。

1551年の『天文日記』には「唐木綿」と「日本木綿」が書き分けられていることから、室町後期の大永(1521年〜1528年)から天文(1532年〜1555年)頃には、すでに日本での綿栽培が広がってきていたとされています。

関連記事:日本の綿花栽培・木綿生産が普及した歴史。苧麻が、木綿に取って代わられた理由。

そして、日本中に広まっていった木綿に対して、染色の相性が良かったのが藍染だったのです。草木染めは、絹や動物性繊維によく染まりますが、藍染は木綿や麻などの植物性繊維に対して染まりが良いのです。

関連記事:藍作・藍染と木綿の深いつながり。共に発展し、衰退していった歴史。

藍染で染められることによって、生地が丈夫になり、また汚れが目立たなくなる利点もあり、素朴で温かみのある絣文様が、庶民の間で好んで用いられたのです。

粋好みの町人に愛された絣

木綿だけでなく、麻の絣ももちろん作られるようになります。

黒に近い紺色の地に白の絣文様をいれたものや、白地に黒いや黒に近い紺色の絣文様のなかでも、特に細かい文様のものは、洒落た絣として粋好みの町人に好まれたようです。

特に、越後上布えちごじょうふ宮古上布みやこじょうふの細かい絣は、最高級なものとして、明治、大正、昭和を通じて夏のさかりの暑い時期に人々から愛されてきました。

参考文献:『服装の歴史


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